エッセイ

日本版アーツカウンシルをデザインする。

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

文化庁の平成23年度概算要求に「日本版アーツカウンシルの試行的導入」で5600万円が計上されました。大変に結構なことだと思います。平成13年に「文化芸術振興基本法」の制定が話題になった時に、現在大阪市立大学大学院の佐々木雅幸氏と私は、第三者機関であるアーツカウンシル制度を条文化すべきと主張したほどですから、「試行的導入」であれ、制度化へ向けて第一歩を踏み出せたことを素直に喜びたいと思います。その頃私は、小泉改革で「特殊法人改革」が俎上に上っていることもあって、日本芸術文化振興会の基金部門である芸術文化振興基金を完全に民営化(NPO法人化)して、日本版アーツカウンシルを創設すべきと主張していました。活動を評価するプログラム・ディレクターには、アーチストや公共劇場・ホールの制作者をキャリア・ブレイク(サバティカル)で1年間から3年間程度雇用するのが良いのではないか、と講演で喋ったことがあります。

キャリア・ブレイクは、長期間創造現場から一時的に離れて「充電する」という意味であり、自分以外の創った舞台を評価することで、ふたたび現場に戻った時に創造的な飛躍が期待できると考えました。なぜキャリア・ブレイクなのかと言えば、現場経験の薄い、あるいはまったく未経験の人間が評価することに、芸術の創造現場の人間が堪えられるかという「事情」があります。平田オリザ氏は「ポスドク」が良いと提案して、彼らの就職先になるのも一つの考えと言っていますが、それでは、「なぜいまアーツカウンシルなのか」の答えにはならない、と私は思えます。

実際の高等教育現場で働いていた立場から言いますと、「ポスドク」程度の批評力と評価力ではこの重責は担えません。だいいち創造現場が承知しないでしょう。私は、指揮者、演出家、俳優、演奏家、技術スタッフが一時的に創造現場を離れるキャリア・ブレイクをして評価機関に在籍するのが説得性はあるし、あわせて現場復帰後の彼らに芸術的進化や技術的向上をもたらすと考えます。在外研修もよいですが、このようなキャリア・ブレイク制度を設けるのも一案ではないでしょうか。あわせて、評価機関には、公認会計士、経営コンサルタント、教育専門家などを雇用すべきです。創造現場が、「ポスドク」の人間に評価され、審査されて納得するとは到底思えません。

なぜ、いま「アーツカウンシル」なのかと言えば、文化庁の事業説明にあるように「現場の実情を把握したうえで、審査員による専門的な審査・評価を行い、文化芸術活動への助成に関するPDCAサイクルを確立するため、日本版アーツカウンシルを試行的に導入する」というのです。つまり、現行のように学者・研究者や評論家が審査することで、本当に公平適正な評価が出来ているかどうかという現場からの不信感があるのではないでしようか。そのことは頻繁に耳にします。現に予算上の費目の価格設定が不当に高かったり、非常識なほどに相場を外れていても、そこは問題としないで(というより、「相場価格」を知らないので)「この団体は支援したい」という評論家の一言で補助金・助成金の採択がされたり、地域の公共劇場・ホールの事業を審査する委員が、地域にはただの一度も行ったことがないという不条理もあります。地域の公共劇場・ホールのことは「伝聞」や「申請書類」で価値判断しているのが現状です。

そのようなことがまかり通っているのですから、創造現場の人間からしてみれば、「不満」であり、「不安」であり、つまりが「不信」であるというのが正直なところでしょう。とは言っても、誰が審査しようと恣意性はついてまわるものであり、キャリア・ブレイクで演出家や俳優や劇場ディレクターが審査しても、相対的に審査される側の「不満」や「不安」や「不信」が軽減するに過ぎないことは言うまでもありません。しかし、この「軽減」が、アーツカウンシル創設で求められているのではないでしょうか。

むろん、行政機関から一定の距離を持った「アームス・レングス」を実現するという提案理由はあると思います。が、しかし、突如として「日本版アーツカウンシル」が俎上にのぼる緊急性の根拠に「アームス・レングス」にあるとは思えません。文化庁でも、芸術文化振興基金の現行の制度でも、文化芸術に見識のない公務員や事務職員が価値判断しているわけではないのです。価値判断しているのは、おおよそ学者や研究者や評論家です。したがって、ここまで前のめりになって「日本版アーツカウンシル」を求める根拠は、評価や審査への「不満」や「不安」や「不信」ではないかと推察されます。したがって、それを「軽減」するには、あくまでも相対的にではあるのですが、キャリア・ブレイクの制度化が必要なのではないかと思っています。

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