エッセイ

地域劇場の現場からの提言 ―劇場法と芸術支援に向けての私見。 

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

朝日新聞大阪本社版3月19日付夕刊に掲載された「劇場法(仮称)」に関する記事が、劇団関係者を中心に大きな反響を巻き起こしています。五段抜きのかなり大きな紙面で、劇団関係者が反発しているのは、平田オリザ氏のコメントにある「現在の劇団への助成は赤字補填だから劇団は赤字体質からなかなか抜け出せず、不正も生みやすい」とする視点を提起しつつ、コメント総体として、公的助成を民間の劇団から公共的な劇場・ホールにシフトするというニュアンスが色濃く出ていることに対してだと思われます。補助金を公共劇場・ホールを通すことで財務の公開性を担保し、あわせて民間の芸術団体を間接的に支援する、という平田氏の考えるスキームと、文化予算の劇的な増額という彼の企図が充分に記事には反映されなかったきらいは否めません。

「劇場法」は、平田オリザ案では「創る劇場」、「観る劇場」、「地域に密着した文化・交流施設」の三層に分けて、「創る劇場」に大きな補助金を与えて作品創造やアーチスト・イン・レジデンス、コミュニティ・プログラムの実施を義務づけています。氏の主宰する青年団のウェブにアップされている「主宰からの定期便(http://www.seinendan.org/jpn/oriza/msg/index0.html)」では、「各館に5,000万円から5億円(平均1億円、総額200億円)程度の支援を行うことができれば、日本の舞台芸術環境を劇的に変えることができると考えています」と述べています。あわせて専門人材の配置を義務づけ、プロフェッショナルな芸術家、プロデューサーを中心に運営するかたちをとります。また、コミュニティへのアウトリーチやワークショップを義務づけています。「観る劇場」は、「創る劇場」で製作したものを鑑賞に供することを主な事業として、あわせて舞台を製作することも可能なものとしています。「文化・交流施設」は市民交流型施設で、貸館や市民参加型事業を中心とする施設です。「創る劇場」はプロフェッショナルな舞台創造と発信を企図しています。

芸団協案では、現在の公共文化施設を、「(1) 音楽あるいは舞台芸術を自ら作品創造を実施する機能」、「(2)音楽あるいは舞台芸術を招聘し、鑑賞活動を実施する機能」、「(3)公立文化施設を利用者に提供する機能」のおおよそ三タイプに類型化されるとして、それらは一般的には併存する機能であるとしています。ちなみに芸団協案では、公共ホールを「劇場・音楽堂」という用語で表現しています。例えば、「貸館中心( (3)のみの機能しか持たない公立文化施設)=集会施設」、「貸館と招聘事業( (2)と(3)の機能を備えた公立文化施設)=提供型劇場」、そして「作品創造中心で貸館や招聘事業も実施( (1)から(3)の機能の全てを備えた公立文化施設)=創造型劇場」ということになります。このほかに(4)コミュニティ・アーツセンターがあり、こちらの案でも、集会施設以外には専門家の配置は必要とされています。その詳細としては、

・公立文化施設経営統括責任者:施設運営と経営のための統括責任者
・芸術創造総括責任者 :芸術経営と創造・普及のための総括責任者
・劇場および技術運用総括責任者:劇場の運用と技術に係わる総括責任者

と提案しています。いわば、経営監督、芸術監督、技術監督という配置でしょうか。

平田案、芸団協案ともに、創造型の「劇場・音楽堂」には専門家の配置を要件としています。これは絶対な要件だと私も考えますが、問題のひとつは、どの程度の勤務実態を必要とするかではないでしょうか。現行の「芸術拠点形成事業」でも「芸術監督又はこれに準じた舞台芸術に関し相当の知見と経験を有するスタッフがいること」を要件にしていますが、審査をしていた者の一人として私見を述べさせてもらえば、基本的には常勤(フルタイム)であるべきだと思います。たとえ非常勤であっても、年間150日から180日程度の勤務を義務づけるべきと考えます。

「芸術拠点形成事業」の実態では、役所から派遣されている「課長」が芸術監督であったり、同一人物が申請してきた複数の公共ホールで芸術監督になっている事例もありました。推測の域を出ませんが、従来の非常勤エグゼクティブの常識的な実態としては年間10日前後という勤務ではないでしょうか。この程度の勤務日数では、地域の何もわかるはずもないと私は実感します。地域の特性や住民構成の実態とそこから来る市民の志向性等など、しっかりと地域に劇場・音楽堂が根付き、創客を進めるのならば、年に10日前後の勤務実態で何ができるのか、地域住民にとっては迷惑なだけではないか、と思うのです。フランス政府が任命する国立演劇センターの芸術監督には職務専念義務が課せられており、他の仕事に従事する(パリで演出するなど)は禁止されているのも根拠があってこそなのです。芸術家が好き勝手に自分の芸術的野心を達成するだけに地域を利用するなら、住民から乖離したプログラムがいたずらに繰り返され、結果として劇場・ホール運営が破綻するのは火を見るより明らかです。先の国立演劇センターに対する批判として、きわめて「パリ的である」というのがあります。芸術監督を国が任命していることと無縁な批判ではないように思います。どうしても「啓蒙主義的」、「権威主義的」な作品選定と製作になってしまうのでしょう。

私の例で言いますと、初年度は大学・大学院との兼務で、週3日間の勤務でした。当然初年度は私の計画した事業ではなかったのですが、チケット・システムの設計や劇団文学座と新日本フィルハーモニー交響楽団との翌年度からの地域拠点契約へ向けてのネゴシエーション、3年後、5年後のアーラの事業デザインをSWOT分析して策定しつつ、「強み」を生かしての翌年度事業の組み立てと価格政策も含めての劇団・音楽団体・プロモーターと交渉をすること、可児市の地域のデータと過去四年間のアニュアルレポートと財務を読み込み、「事情」と「現況」を体感することに週3日間の勤務時間は費やされました。地域の劇場・音楽堂に勤務する芸術監督や経営監督、技術監督は、常勤か、もしくは非常勤であっても、年間150日から180日はその地域に根を下ろした活動をすべきと考えます。「風にあたり、空気を吸い、食べ物をとる」と私は表現しますが、地域に身体ごと飛び込まなければ、地域住民の信頼は絶対に得られません。地域劇場・ホールをマネジメントするということは、ドラッカーを引くまでもなく、顧客たる地域住民の抱える課題解決に寄り添うことであり、言うまでもないが芸術家やプロデューサーの芸術的野心を実現することでは決してないと考えます。

次いで、地域の公共的な劇場と音楽堂への補助拡大に対する劇団側の危機感に対しての提案をしたいと思います。劇場・音楽堂への補助金は、滞在型で舞台創造をすることにより間接的に芸術団体を補助するわけですが、施設への補助の拡大に連動するかたちで、芸術団体への事業補助の削減があるに違いないという危機感を彼らが持つのは当然の成り行きではあると思います。

ただ、平田氏の「現在の劇団への助成は赤字補填だから劇団は赤字体質からなかなか抜け出せず、不正も生みやすい」という発言は至極もっともなことを言ったにすぎないと思っています。「赤字補填」という日本の芸術団体に対する補助のあり方は変えなければならない、という認識では関係者の大方が一致する、と私は考えています。私も平田氏と同じく、いまのままでは赤字体質は変わらないだろうし、申請時に補助率を見込んだ上で各費目を大きく膨らませて予算を計上するといった「テクニック」は今後も常態化したままになると思います。芸術団体の財務諸表がディスクローズされないのには「わけ」があるのです。公開するわけにはいかないのです。これは不健全な状態と言えます。その状態を生み出しているのが「赤字補填」という文化補助の在り方なのです。

そこで私は、「劇場法」を根拠とした地域の公的な劇場・音楽堂に対する補助を実施すると同時に、芸術団体には「マッチング・グラント」という補助制度を導入すべきではないかと思っています。「マッチング・グラント」は、事業収入、広告収入、助成収入、寄付収入などの総収入に対して、あらかじめ決められた比率で補助をする仕組みです。米国では実勢1:7くらいの比率で収入にあたる「1」はシードマネーの役割を果たすようですが、寄付社会の米国とは社会環境や税制度が違っているわけですから、私は日本においては50:50の比率で良いのではないかと思います。それも事業に対する補助ではなく、年間の収入総額に対する補助が望ましいと思います。つまり、団体助成です。したがって、その際の補助は使途を問わない「一括補助金」であるべきです。

これだと自助努力が補助額に反映するわけですし、当然ですが、自助努力のできない団体は市場から退場することになります。芸術団体は、芸術家の芸術的野心を実現するためのアーチストによる同人的な組織から、アーツマネジメント、アーツマーケティング、ファンドレイジングの必須な近代的事業体へと変質せざるを得なくなります。これは日本の演劇界の進展に大いに寄与すると考えられます。財務の透明性がこの「マッチング・グラント」の大前提です。国民から強制的に徴収した税金なのですから、透明性は当然のことです。現在の「赤字補填」の補助の在り方は、公的な資金を投入するうえで拭いがたい制度的矛盾があります。国民の合意に依拠する特定の法律を根拠とする「義務的補助金」ではありませんし、言葉は好きではありませんが、いわば「恩恵的補助金」に属するものである以上、財務の公表は当然ではないでしょうか。当然あるべき国民の「知る権利」はまったく担保されていません。マッチング・グラントで補助を受けるということは、公開性が担保されるということです。公正性が担保できるようになるということです。補助を受けた団体の財務諸表は本来国民に公開されるべきです。

このマッチング・グラントを公共劇場・ホールにも適用すべきとする意見があります。高萩宏氏が従来から唱えているものです。しかし、私は、これは「機会の均等性」からみて適切ではないと思います。高萩氏は米国でマネジメントを勉強していますから、マッチング・グラントに馴染みがあるとは思います。その後一貫して中央(東京)の劇場でマネジメントをしてきていますから、地域の経済構造に熟知していないのでしょうが、企業の本社機能の集積のある東京でのファンドレイジングと、支社機能しかない地域でのそれとはおのずと違ったものとなります。米国のように州ごとに大規模な事業体があり、しかも企業の社会的責任経営(CSR)が義務的な感覚として定着している環境と日本のそれは大きく異なっており、「機会の均等性」の点からいって、公共劇場・ホールへのマッチング・グラントは、公的資金による補助の公正な与件としては馴染まないと思います。一方、芸術団体の多くは、東京や大阪などの都市部を拠点としています。したがって、「機会の均等性=公正性」が担保できる点で、マッチング・グラントが一定の基準に依拠する団体の「評価」の指標になると思います。

とはいえ、繰り返しになりますが、マッチング・グラントを導入するには寄付税制の整備が大前提となります。むろん、仮に劇団、音楽団体が公益法人になるのなら自動的に寄付税制の恩恵にあずかれるのですが、あまり現実的ではないでしょう。それよりも、特定公益増進法人格をもっているメセナ協議会の「認定事業」を活用するのが実際的でしょう。ともかくも寄付税制の整備は必須です。

もうひとつの課題は、(1)劇場・音楽堂の階層化と、(2)どの芸術団体をマッチング補助の対象とするか、その「価値判断を誰がする」のか、という点ではないでしょうか。当然、誰かが価値判断をするのですから、どこまで行ってもその恣意性を免れることはできません。したがって、「誰が価値判断をするのか」はどこまで行っても論議は堂々巡りになります。私は、英国芸術評議会のような第三者機関を設けて「美的・芸術的評価」、「機会均等に関する評価」、「教育に関する評価」、「運営環境」、「他団体との比較」、「財務分析」、「財務管理」、「マネージメント、人事、研修」、「マーケティング、渉外、研究」などについて毎年度ごとに評価をすべきではあると思っています。(サウスウエスト地域芸術評議会 助成団体評価チェック項目より)。このような第三者機関をすぐに立ち上げるのは大変難しいと思います。現在の日本芸術文化振興会の基金部分を切り離して別法人格を取得し(公益財団法人格が最適ですが)、そこが文化芸術補助の一切を所掌するというスキームも考えられます。いずれにしても、10年程度のスパーンで、民間の芸術評価機関として構想すべきであると思っています。それまでは暫定的に、劇場・音楽堂については都道府県が、芸術団体は複数の統括団体からの代表者で構成された機関で評価をするかたちをとるしかないと考えています。

現行の芸術団体への補助金審査の実態は、審査する者と特定の芸術団体の「つながり」が審査結果を左右することも再々です。また、補助率を見込んで過剰に計上されている予算に疑義をもつ審査員があまりいないのも実態です。舞台や団体への評価を推挙の理由として述べる例は稀だといえます。したがって私は、財務に疎い評論家や舞台を見ない業界関係者による補助金審査は絶対に避けるべきだと考えています。そのような第三者機関で舞台・団体を評価するのに、平田オリザ氏は「ポスドク」を採用すると発言していますが、実際の高等教育現場で働いていた立場から言いますと、「ポスドク」程度の批評力と評価力ではこの重責は担えません。だいいち創造現場が承知しないでしょう。私は、指揮者、演出家、俳優、演奏家、技術スタッフが一時的に創造現場を離れるサバティカルとして評価機関に在籍するのが説得性はあるし、あわせて彼らに芸術的進化や技術的向上をもたらすと考えます。在外研修もよいですが、このようなサバティカルを設けるのも一案ではないでしょうか。あわせて、評価機関には、公認会計士、経営コンサルタント、教育専門家などを雇用すべきではないでしょうか。

劇場法に関することですが、地域の劇場を経営している立場からみると、「貸館事業」への中央の関係者の認識が「ゆるい」と感じています。東京の公立劇場も、実は「貸館事業」をしているわけで、その対象が東京周辺や大坂周辺ではプロの団体であるのに対して、地域劇場は市民のアマチュア団体であるという違いだけなのです。「文化振興」のための「貸館」であることに違いはありません。プロに貸館をする方が、アマチュアに「貸館」をするより程度が高いとは私には到底思えません。「貸館は貸館」です。水戸芸術館や静岡芸術劇場のように市民団体には貸し出さない例外的な公共文化施設もありますが、これはあくまでも「例外」に過ぎません。アーラはこの「貸館事業」に4億200万円を費やしています。いわゆるランニングコストです。対する「貸館事業」からの収入は3千万円あまりです。受益者負担はおよそ7.5%に過ぎません。およそ92.5%が公的資金によって補填されています。しかし、公共劇場・ホールにおける「貸館事業」は、大方の施設の設置目的にある「地域文化振興」に資するために必要な事業スキームではないでしょうか。劇場・ホールにとっては、経済的には割に合わない事業ですが、それによって市民みずからが文化的な環境を形成し、コミュニティを創成していき、文化的にも、技術的にも進化することを考えれば、地域の劇場・ホールが地域に貢献していることの証左と言える事業です。経営的には必要不可欠な事業と言えます。むろん、事業の内容や目的に対するプライオリティは設けなければならないと思います。怪しげなマルチ商法めいた団体に貸すことが公共の福祉に反するのは言うまでもありません。

公共劇場・ホールの外部環境の激変は、指定管理者制度、公益法人改革、この4月から施行された改正労働基準法(創造型の劇場・ホールの労働実態と乖離している)、そしてこの劇場法と、厳しい競争の時代であり、激烈な淘汰の時代に入っています。戦わざるものは撤退を余儀なくされる時代です。芸術団体もまた、競争と淘汰の時代にさらされ、勁草として生き残るためのサバイバルを生き抜くことが求められるのが、時代の趨勢ではないでしょうか。舞台や団体への評価はひとまず置くかたちの「護送船団方式」の芸術支援には終止符を打たなければならないと考えます。「生き残る」のであって、「生きながらえる」であってはならないと思っています。公共劇場・ホールも、芸術団体も、激しい環境の変化の中にいることをまずもって知らなければなりません。外部環境の変化に対しては、自らが変化することが必要です。そのうえで、ともに「疾風に勁草を知る」(激しい風の中では強い草だけが生き残る)というサバイバル時代に立ち向かわなければなりません。

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