エッセイ

「まだ眠るわけにはいかない」と書いた日からの10年を―いささか情緒的な備忘録として。(その5)

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生

【何を遺せるのか、未来する「いのち賑わう人間の家」へ向かって、そして「社会的処方箋活動」の拠点施設としての役割を】(承前 その5)

開発による森林伐採が鰊の群来を幻にしてしまった、というテレビ番組を見た。秋田の海から鰰が消えたのも、河川上流での森林伐採の疑いがあるという。道東の厚岸の牡蛎は、急激な漁獲量の落込みを漁民らの植林事業によって復活したという。
雨が森に降り、森林の蓄えていた栄養分が伏流水に溶け込んで川となり、流域をうるおし、海に流れ込んで海藻や植物プランクトンの生長を促し、豊かな魚介類を育てるのだという。この<森と魚貝>の連鎖は、水産海洋学の奈須敬二氏が力説するところで、なにも目新しいことではない。しかし、私はその番組から少なからずショックを受けた。(中略)私たちの生きている時代が<未来>を消し去るようにしかないのだとしたら、これはいたたまれない。
<カキの森>は長い時間をかけて豊かな海を人々にもたらす。一本の苗木を植えようとする手に明日の糧はもたらされないかもしれないが、その手は確実に未来に向かってひらかれている。真のリージョナリズムとは、そのようなロングスパンの中で蓄積されるさまざまな知的資源とその循環のシステムによって実りの季節を約束されるものではないだろうか。でなければ、地域は痩せほそるばかりだ、と私はいま考えている。
私はいま、レジデントシアターの在処を探ろうとしている。それは、私にとって、人間にやさしい社会とそれを生み出す文化的環境の在処=人間と社会にとっての<カキの森>を探し出す道程であり、その森のシステムに普遍性があるか否かを検証する作業でもある。演劇の側からの検証、行政の側からの検証、地域住民の側からの検証、鑑賞団体からの検証、教育制度からの検証、税制からの検証など、さまざまな角度から《レジデントシアター構想》は試されなければならない。
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長い引用になってしまいましたが、これは21年前に上梓した『芸術文化行政と地域社会 ― レジデントシアターへのデザイン』の序章である「芸術支援から芸術による社会支援へ」の冒頭「カキの森の文化政策」の書き出しです。この部分は就任3年目に始めた『館長VS局長』の第1回にも引用しており(http://www.kpac.or.jp/column/kan01.html)、この自著を就任以来続けている月2回の「館長ゼミ」で昨年から職員からのチューターを決めて輪読しています。私個人としては10数年ぶりの再読です。当時考えていた「レジデントシアター構想」は、地域に滞在しているカンパニーが、教育、福祉、保健医療の各機関と連携して、地域住民のすべてを視野に入れた公共的サービスを供給するというもので、2014年の「劇場法・大臣指針」に書き込まれている文言とほとんど変わらないものであり、現在のアーラの目指しているいのち賑わう「人間の家」へのデザインともほぼ相似形であることに、私自身がいささか驚いています。40歳代半ばから50歳手前までに書いたものをまとめ、一部書き下ろしを加えた一冊だったのですが、ただの一介の演劇評論家であり、いわば単なる演劇ディレッタントだった男が40歳を3年ばかり超えてから地域に出て、全国を巡って多くの人たちの地域に根差した文化的な営みと出会い、彼らの成功体験と挫折体験を共有して、演劇をはじめとする文化芸術の、多様で素晴らしい社会的機能を心底思い知らされ「自分は何をしてきたのだろうか」と自問し、あるいは自責の念に駆られて、地域の文化行政の裏も表も知ったうえでの書き下ろしだっただけに、自分のこととは言え、随分と濃密な40歳代前半を私は過ごしたのだなと今更ながら感じます。現在とほとんどブレてないその「頑迷さ」は、父の祖系である火の国熊本の「肥後もっこす」の由縁かなと思うのですが、そのブレのなさは「人間らしい生活」や誰にでも尊重されるべき「人間の尊厳」、「人間としての幸福」、「誰でも、それがLGBTであっても自分らしく生きる幸福追求権の保障」という中心軸を思考や論考の芯に据えているからで、私の人間への信頼とその価値観が変わらないかぎりはブレようがないのだと思っています。

人間が人間らしく生きることが出来るためには、あるいはその人らしく尊厳を持って生きるためには、それを支え、保障し、担保する「制度」がなければなりません。そして、現在ほどそのための教育や福祉の「制度」がダッチロール状態だったことはなかったのではないでしょうか。他者に対する寛容さが著しく欠如していて、自分さえ良ければ他人を踏みつけても恥じない倫理観のなさ、金銭と所得と稼ぎの多寡だけで「勝ち組・負け組」をはかる他者に対する薄っぺらな評価、競い合い奪い合うことがさも「正論」のような弱肉強食の市場原理感覚、「人間」を第一と思わない政治と政治家の劣化、「人間」の心に届かない経済第一主義の横行、自国第一主義の排他的な思想が大手を振って闊歩する異常さ、単なる「コストカッター」を「プロの経営者」ともてはやす経済誌の見識の低さ、競馬や競輪の予想屋なみの経済評論家とエコノミストの発言、それらを日々見聞きすることで私の心は鬱血したままです。「津久井やまゆり園」の植松聖被告の発した障がい者に対しての「生きる価値がない」というナチスと同様の優生思想と、その彼を「自己愛性パーソナリティ障害」として精神異常者に仕立て上げようとする政治的策動、広島カープ戦での中日ファンから投げかけられた「原爆落とせ―」の人倫を踏み外した「声援」、国会議員とは到底思えない矩を踏み外した発言と、その撤回・陳謝の幾度もの繰り返しなど、あまりの人智を踏み外したことばかりが起こる時代の病理に、私はほとんど茫然自失となっています。私が育った時代との径庭の感に落胆失望すること再々です。

アダム・スミスの『国富論』以来、資本主義は「欲望」を制度化するために多くの犠牲を支払って進化してきました。したがって、資本主義も「人間が人間らしく生きることが出来るため」に長い時間をかけて、数えきれないほどの人々の知恵が編み出してきた「人間が幸福に向かうための制度」です。「まっとうに働けば普通に生きていける収入を得られる時代」を生きてきた私には、しかし「いま」は看過できない歪みの時代だと思えるのです。激しい違和感と失望感を持っています。「欲望」という人間の業をさらけ出して恥じない、業のままに生きることを全肯定している新自由主義政治経済思想を、何処まで行っても私は首肯できません。「欲望の自由放任」は多くの不幸を生み出しながらひたすら拡大を続けています。「欲望」というものは充たされることを決して望みません。「欲望」は増殖することだけを望むということを、私たちは知らなければなりません。したがって、「欲望の自由放任」は、誰かの「生」と「尊厳」を踏みにじるという必然的結果を生んで「歪みの時代」に踏み込んでしまうのです。しかも、バブルは繰り返されるのです。なぜなら、ダニエル・コーエンに従えば、人間は「欲望」から解き放たれることがないからです。したがって、暴走する「欲望」を利他的な倫理観と道徳観で制御しないかぎり「不幸」は拡大再生産してしまいます。「物欲の充足を利己的に追求する人間」である「経済人(ホモ・エコノミクス)」が社会を発展させる、あるいは「人間の大半を支配するのは自己利益だ」という、いわゆる「合理的選択理論」をやみくもに信奉しているのが日本の御用経済学者と軸のないエコノミストたちは下記の警句をご存知だろうか。「イノべ―ション」と「創造的破壊」による経済成長の創案者ヨーゼフ・シュンペーターは、しかし、「資本主義はその成功がゆえに土台である社会制度を揺さぶり自壊するだろう」と80年後の倫理なき、道徳なき、利己的で不誠実な「今日」を予言しているように私には思えます。私たちの国はその瀬戸際に立っているという現状認識が必要なのではないでしょうか。

アダム・スミスは『国富論』を著す以前に『道徳感情論』を著しています。こちらは死の直前まで推敲し続けて改訂を重ねています。アダム・スミスは『国富論』で決して「利己心」を全肯定したわけではないのです。利己的な欲望が経済を発展させて「見えざる手」によって調整されると書いていますが、宇沢弘文先生の弟子でノーベル経済学賞のジョセフ・スティグリッツは「見えざる手などない」と書いています。『国富論』の頃の人間には「見えざる手」が働く謙虚さや倫理観や利他的な道徳心があったということなのか。しかし、アダム・スミスは『道徳感情論』で「共感」という概念を前面に推し出して「利他的であれ」と諭して、市場の諸関係はこの「共感」あるいは「同感」によってのみ形成される「秩序」であり、その価値観こそが「利己心の放任と暴走」による混乱のリスクヘッジとしての「公平な観察者」となると主張しているのです。この大事な提言をばっさり切り落として、「秩序を踏み躙って」暴走する「欲望」を是認したのがミルトン・フリードマンらの新自由主義経済思想です。「競い合い・奪い合う」ことを是認する思想です。繰り返しますが、「欲望」は増殖することだけを望むのです。いわば「欲望」を自由放任の状態にしてしまうのが新自由主義経済思想です。「小さな政府」も「規制緩和」も「自己責任論」も、経済的利得の最大化への「欲望の自由放任」を是認するための正当化の方便に過ぎないと私は思っています。私は経済効率最優先の「規制緩和」が、多くの若者の命を一瞬にして奪った軽井沢スキーバス転落事故につながったことを、決して忘れてはならないと思っています。

私は劇場音楽堂等が、将来にわたっての社会のユニバーサルデザイン化にどのように寄与できるのかを90年代から考え続けています。劇場と社会のユニバーサルデザイン化は、性で差別しない、肌の色で差別しない、職業で差別しない、年齢で差別しない、障害の有無で差別しない、そして忘れてはならないのは所得の多寡で差別しないという原則を貫くことです。多様なそれぞれの境遇を、それぞれの個性として受け入れ、その違いのある個性を持った「いのち賑わう」広場こそが劇場でありたい、流域に多くの恵みをもたらし、豊饒の海を生み出す「カキの森」の役割を果たすのが劇場であり、音楽堂であり、社会機関として地域課題を解決に向かわせて「いのちの環境」を健全なものに整える「インクルーシブ・レガシー」を上書きし続ける「みんなの広場」でなければならないと思っています。その意味でも、私は文化芸術の社会包摂機能をあますところなく活用した『社会的処方箋』(Social Prescription)プロジェクトを全国的なムーブメントとして展開できれば、と夢想しています。いやむしろ、そのムーブメントが社会的ニーズの高まりと、周縁に存在する人々の強い支持で動くことを熱望しています。「社会的処方箋」という、英国芸術評議会と英国ナショナル・ヘルスサービス(NHS)が協働して進めている活動は、NHSの慢性的な赤字体質に対して、主に過大化する国民医療費への対策として予防的医療プロジェクトとして取り組まれているものです。

ガーディアン紙に掲載された当時の英国芸術評議会議長ピーター・バゼルゲッティの寄稿文を引用した方が私から解説するよりも理解しやすいと思えるので、少し長文になりますがガーディアン紙から引用します。

「グロスターシャー州のArt-Liftという取り組みは、アーツカウンシルではなく地域のNHSから資金提供を受けている。一般病院の医師は、自分の病院に来る患者に対して演劇、音楽、絵を描くことなどを『処方』することができる。ある医者は、これはすでに「プロザック(抗鬱剤)」よりも有効性が高いことが実証されていると、苦笑いをしながら話してくれた。また、ケンブリッジシャー州でのArts & Mindsという取り組みでは、医療関係者が患者にアートワークショップを直接照会することができる。ロンドン大学ユニバーシティカレッジでは、その名もMuseum on Prescription(処方箋による博物館)という3年間のプロジェクトをイングランド南東部で実験的に行っている。孤立し、弱い立場にある高齢者と、地域の遺産=彼ら自身の文化とを結びつける試みだ」、「薬は体のケアをするが、アートはその人自身をケアする。医療サービスにおいては、病気の予防に今より多くの資源を投入すべきであることは明白だ。そして、このアプローチはすべての分野にとって有益をもたらす。政府と地方自治体が文化芸術に使う支出は、NHSの支出のわずか50分の1ほどだ。しかし、とりわけ医療や福祉の分野においては、少ない額で高い効果を上げていると言えるだろう」。

私はこのプロジェクトの使命を保健医療分野から拡張させて、教育分野、福祉分野、格差を含めた社会政策分野までを包括的に文化芸術の社会包摂機能でカバーして、行政コスト・社会コストを軽減化するばかりではなく、その対象者の「生きがい=生きる意欲」の醸成に寄与するものに出来るような仕組みを構想しています。このムーブメントが全国の隅々にまで「造ってしまった」2400と言われる劇場音楽堂等にまで普及するようになれば、その「ハコモノ」と批判された設置費用は決して無駄ではなく、むしろ地域社会の健康と健全に資する地域共生社会の実現ための社会機関として国民市民の生活を下支える必要な拠点施設になる、と私は確信しています。

英国のテリーザ・メイ首相は、今年に入ってトレーシー・クラウチ下院議員を孤独担当大臣に任命して、「多くの人々にとって、孤独は現代生活の悲しい現実です。私はその現実に立ち向かい、我々の社会や高齢者や介護者、愛する人を失った人々―そして自分の考えや体験を話したり分かち合う相手のいない人の孤独に対して、行動を起こしていきたい」とのメッセージを述べています。また、メイ首相は文書で「ジョー・コックスはこの国に拡がる孤独の問題の規模を認識し、影響を受ける人たちのために全力を尽くした」と発表してコックス議員の功績を継承して彼女の名を冠した「ジョー・コックス孤独問題対策委員会」を発足させ、経済界や赤十字をはじめとする13の慈善団体と協力しながら政府の戦略を策定する役割を述べました。「ジョー・コックス」とは、EU離脱を問う国民投票の直前に極右思想の男に暗殺されたヨークシャー選出の女性議員です。

ジョー・コックス孤独問題対策委員会によれば、英国国民6600万人のうち900万人が孤独に苦しんでおり、その3分の2は「孤独である」と公言できないで「生きづらさ」を感じていながらも放置されています。これによる国の経済損失は320億ポンド(4.9兆円)という試算がされています。報告書では、10代の62%、家族を介護している人の80%、高齢者の66%、身体障がい者の50%が「孤立と孤独」に苛まれていると報告されています。月に一度も友人や家族と会話していない高齢者(65万人)は20万人、週に一度だけと限定すると半数以上の36万人になります。孤独をチャイルドライン(孤独相談窓口)に訴えて支援を受けた子どもの数は400万人を超えています。日本では、これに子育て中の一般家庭(平均年収626万円)のおよそ3分の1の年収200万未満のひとり親家庭の64%が加えられるでしょう。また、英国の数値を日本に当てはめれば、我が国にはおよそ1773万人の「孤独と孤立」に瀕している国民市民がいることになります。昨年の厚労省の報告では、15歳から39歳までの生産年齢人口の若年層5区分の死亡原因第一位がすべて「自殺」でした。欧米の先進国の若年層の自殺が事故死の3分の1程度なのに対して、日本のこの数値は「異常」としか言いようがありません。悲しいけれど、これが現実なのです。これは社会問題であるばかりか、政治問題であり、経済問題でもあります。いま、私たち日本国民の「良心」と「人間性」が問われているのです。本当に「日本人は劣化してしまったのか」が厳しく問われているのです。90年代後半から拡大し続けて止まる兆しさえない「所得格差」は、社会疫学の権威であるハーバード大学のイチロー・カワチ教授やロンドン大学のミシェル・モーマット教授の知見によれば、それは「健康格差」を必然とし、自己肯定感の喪失による「希望格差」となり、私はさらに「いのちの格差」にまでなっていくと考えてられています。

私たち劇場関係者と文化芸術関係者に出来ることは、先述した「社会的処方箋活動」に私たちの経験とスキルを活かすことだと、私は思っています。「社会的処方箋活動」は、孤独と孤立に苛まれている人たちに前を向いて立ち上がる勇気と励ましを与えるばかりか、その人々への財政支出を抑制して、仮に削減という政治的判断がなされてもその対象となる人々への衝撃を緩和する役割を果たします。たとえば、私は「演劇情動療法」を開発した東北大学医学部の藤井昌彦教授に、それによって有意に症状改善のみられる認知症患者たちへの過剰投薬が抑制されて、どのようなQOLを実現し、どれだけの財政的・経済的損失を免れることが出来たかの数値を社会的インパクト投資によって数値化することを要請しています。私たちを取り囲む環境から見れば、それは妄想であり夢想と言われるかも知れません。その逆風は甘んじて受けます。しかし、可児市文化創造センターalaに着任した時に「社会包摂型劇場経営」をグランドデザインとして「芸術の殿堂より人間の家をつくる」と話しても、職員さえ「何を言っているのかわからない」という反応しかありませんでした。当時の篭橋事務局長(現教育長)と酒を強かに飲んで話す内容と言えば、理想の劇場を創って日本の公立劇場のスタンダードとなるという「酔っぱらいの戯言」と言われかねないことばかりでした。しかし、鉢の大きさで木の大きさは決まります。私たちは未来する人たちに何が遺せるのかを考えて、確信的に「大きな鉢」を用意すべきなのではないでしょうか。「There is wealth but life(命を成長させる営みがあってこそ豊かさが生まれる)」というジョン・ラスキンの言葉は、まさしく宇沢弘文先生の「社会的共通資本」に通底していますし、劇場音楽堂等と文化芸術に出来ることを指し示していると、私は強く思っています。

法政大学教授で、反貧困ネットワーク事務局長、最近では「子ども食堂」の推進役であり保護者としての眼差しで皆さんを見守っている湯浅誠さんが突然アーラにいらっしゃいました。豊島区・要町で「子ども食堂」と「学習支援」等をなさっている豊島子どもWAKUWAKUネットワークの栗林知絵子さんから「可児市に行ってみたら」と勧められたとのことでした。Yahoo!の連載に取り上げたいとのことで、本当に根掘り葉掘り訊かれて、私は「丸裸」にされた感のあるヒヤリングでした。(https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20180220-00081241/)その「根掘り葉掘り」で、日ごろは意識していなかった自分の劇場経営の原点を、あらためて辿ることになりました。確か「なぜ、衛さんはそんなに社会包摂を大事にするようになったのか?」という湯浅さんからのストレートな質問に、咄嗟には何故なのか答えられずいささか困惑しました。最初に出たのは母の口癖でした。小学校を卒業して、すぐにお針子奉公に出た明治生まれの母で、目に一丁字のない人間でしたから、情報源は新聞ではなくラジオやテレビでした。一家心中のニュースに接すると「何とかならなかったのかね、あるところにはあるのだから」が必ず溜息交じりの口癖でした。「ありがとう」と「ごめんなさい」は言える人間に、「騙すより騙される人間の方がまし」も随分と聞かされました。

湯浅さんに「丸裸」にされてから、自分でも「何故なのだろうか」と時々考えるようになり、そう言えば、と浮かんだ方が何名かいらっしゃることに気付きました。決定的に私の生き方を変えたのは詩人で評論家の松永伍一さんです。『原点が存在する』を著して「東京に行くな」の有名な詩を発表した谷川雁氏と九州で同人を組んでいた方で、私が私淑し、敬愛してやまない先人でした。私は松永伍一さんの『底辺の美学』という大和書房から出ていた一冊の本に強い影響を受けました。その本とは3ヶ月間入院していた病院から外出が許されて、排ガス公害で有名になった、近くの牛込柳町交差点にある傾きかけた木造平屋造りの古本屋で邂逅することになったのでした。何でもない装丁の、普通なら見落としてしまうような一冊です。

大学に入って演劇をはじめ、時代もあってご多分に漏れずに「マルクス少年」だった私は、その『底辺の美学』で、そこに描かれている最下層の人々の苦吟に満ちた「生」や農民詩人の真摯な生き方や子守歌の生まれた時代背景に打ち敷かれました。マルクス=エンゲルスは資本主義を科学して優れた業績を残していると思っていましたし、「資本主義研究の名著」であり、「なるほど」と知的好奇心を満足させてくれたのですが、私にとっては『底辺の美学』に描かれた人々の方にほぼ本能的に強く惹かれました。邂逅と訣別。ここに取り上げられた人々と同じ境遇の人間は、いま現在も日本のどこかで生きているに違いないと思うと、私は病院に入っている場合ではないと激しい焦燥感に囚われました。21歳の時でした。私は退院してすぐに松永さんの上石神井にあったお宅を訪ねました。懐の深い方で、勢い余って訪ねてきた一読者でしかない大学生の話を聞き手に回って受け入れてくださいました。そうする中で「この人の眼差しは信じてよい」と心から確信しました。

それと私が演劇の社会的な包摂機能を実感した切っ掛けとなったのは、90年代はじめに長崎で出会った「のこのこ劇団」の一人の少女との出会いでした。「のこのこ劇団」は当時長崎で、作業療法士をする一方で劇団「休憩時間」を主宰していた26歳の川口淳一さんが、自閉症スペクトラムやADHD等の発達障害の子どもたちを対象に週に一回土曜日に稽古をして、彼の母校である長崎福祉短期大学の体育館でのクリスマス会で10分強の舞台披露するものでした。東京の演劇界に失望していた当時の私は、50年代米国のリージョナルシアター運動をたった一人でやって「東京を包囲する」と意気込んで地域に出掛けていました。そんな生活の中で、私は一人の少女と出会います。「あゆみちゃん」です。彼女は当時小学校四年生で、多動性障害のために学校ではいじめに晒され、教師からも問題児とされていました。彼女たちは「変化」に対してはパニックを起こすことがあります。その意味では、私は彼女たちにとってはよそ者であり、まさしく「変化」そのものでした。なのに、一人の子供が私に対してコミュニケーションをとろうと近づいてきました。それが「あゆみちゃん」との最初の出会いでした。彼女は絵本で顔を隠すようにして、どのように対してよいか決断しかねて書架のあいだに立っている私に近づいて来ました。私に向かって開かれた絵本には大輪の向日葵が大きく描かれていました。うろたえた私は言葉を探しました。「あぁ・・・・・・ヒマワリだ、夏なんだ」と間の抜けた言葉をつぶやくように言いました。すると、彼女は顔を隠したままページを一枚めくりました。そこには、見開きのページいっぱいに数え切れないほどのコスモスが咲いていました。「あっ、コスモスだ、もう秋なんだ」と今度ははっきり彼女に向けて言葉の穂を継ぎました。絵本が少し下がって、彼女の目がのぞきました。私には少し微笑んでいるように見えました。

この「事件」が私と演劇との関係を劇的に変えました。関係性を成立させることの苦手な彼女が、私にコミュニケートしようとした。「この子たちにも演劇が必要とされているんだ」と、私は眩暈を覚えるほどの衝撃を受けました。毎日のように舞台に接することを仕事としていた人間にとって、ここにも確かなかたちで演劇が必要とされている現場がある、と突然まばゆい世界に引きずり出されたような感覚をおぼえました。私のこれからやるべき「仕事」が一瞬にして見えたのです。世界的な水準の舞台も人々には必要ですが、「あゆみちゃん」たちが必要としているアーツの力も社会には欠くことのできないものであり、それらは等価であると私は考えました。そして、その双方を同じ価値としての実現を使命とする劇場・ホール、そして美術館を構想して、そのような使命を果たそうとする施設やプロジェクトのお手伝いの仕事をすることになったのです。

最後の一人は、入院中の私の主治医だった船渡川先生です。おそらく研修医から臨床勤務医になったばかりと思える30歳前後の長身の医師でした。入院患者さんとの交流の中で、それぞれの患者さんが、それぞれに違う深い闇を抱えていることを、その頃私は感じ取っていました。彼が検診に来ると私はいつも「先生は予防精神医学ということを考えたことはあるのですか?」と、いまとなれば相当失礼極まりない詰問をしていました。「予防精神医学は突き詰めれば革命ですか?」と20歳の私がつんのめった質問をしても、先生はいつも含羞を漂わせながら困惑気味の笑顔を浮かべていました。7月の月面着陸を看護室の前のロビーのテレビで放送していた日に退院しました。私の病室は持ち込んだ書棚がいっぱいになるほどの本と、「絵画療法」と自称して何点かの書き溜めた油絵数点がありました。それ以外の時間は、1ヶ月が過ぎるころから一切の投薬を拒否して、中庭で半日はバスケットボールで大量の汗をかく毎日でした。その様子をいつも見ているのが、私より少し年長と思えた、大きな赤い帽子の人形を抱えて離さない知的障害と思える女性でした。いつも小川知子の「そよ風みたいにしのぶ あの人はもう」と口ずさんでいました。私は20歳を少し過ぎたその頃に、『底辺の美学』という生涯の一冊に出会うと同時に、心に深い闇を抱えた様々な階級と色々な境遇にある、心優しき、愛しき人々と出会ったのです。そのことが、私の人間への眼差しの原点をつくったと今になって思います。

フランスの作家のジャン・ジオノに『木を植えた男』があります。彼の出身地であるプロヴァンス地方を舞台にした小品で、毎日毎日、二つの大戦のあいだも休むことなく、プロヴァンスの曠野に楢の小さな苗木を植え続けている男の話で、出征していた「私」が帰還してその荒れ野を訪ねると、そこは楢の豊かな森となり、乾いていた曠野には清流が流れて、人々の笑顔と笑い声のする町になっていた、という物語です。この絵本は、私が可児市文化創造センターに着任した年の学部と大学院の卒業生たちがアーラを訪ねて来た時に各自一冊ずつ私へのプレゼントとして持ってきた絵本の中の一冊です。忙しさにかまけていて、まったく見かえしていなかったのですが、脳梗塞のあと身体が思うように動かなくなって鬱状態になった時に何気なくすべての絵本を読み返しました。そして、このジャン・ジオノの中に登場する楢の苗木を植え続けている「男」に、フッと心が安らぐのを覚えました。感情移入したのです。私は自分の生きているあいだにすべてをやり遂げたいと思っているから、思うように動かない身体と心を持て余しているのだ、とこの絵本に鬱の原因を気付かされたのでした。

私たちのような社会包摂型の劇場経営を進める仕事は、この「木を植える男」の主人公みたいなもので、何十年後かに「豊かな森」と「清らかな清流」と「人々の笑顔」を生むために「いま」という時間に献身しているのだ、と気付いたのです。とても気持ちが楽になったことを憶えています。一気に肩の荷が軽くなった感じでした。つまりは、「自分一人で」と思い上がっていたのです。のぼせ上がっていたのです。のぼせ上がって、思い上がって、鬱になっていたのでした。まったくのところ「ひとり相撲」です。私が終生かかっても出来なかった仕事と使命は、月2回の館長ゼミを受けているアーラ職員や、「あーとま塾」に全国から参加している多くの塾生たちや、丸亀の市民たちに受け継いでもらっているDNAによって、そのうちの誰かがきっと実現してくれるに違いないと負託するしかないのです。行けるところまで行って、森と清流と笑顔の生まれる時を誰かに仮託しかないのです。まさしく「木を植える」ことに専心するだけが、私の「いま」できる仕事のすべてなのだと思うようになりました。「いのち賑わう、《人間の家》としての劇場」と、「豊かな森のつくる木陰に護られて織りなす人々の生活」は、アーラのDNAの継承と相続によってきっとつくられると、私は固く信じています。

そして公共劇場とは、繰り返しになりますが、敬愛する宇沢弘文先生の言っておられた「社会的共通資本」(Social Common Capital)に他ならないと心から思っています。前述した「人間らしく生きるための制度」とは、劇場音楽堂等がこの「社会的共通資本」として広く認知されることではないでしょうか。その宇沢先生が数学者になることから経済学者に針路を変えた言葉に、19世紀英国のヴィクトリア時代の評論家・美術評論家で、芸術家のパトロンであり、設計製図や社会思想家であるジョン・ラスキンの「There is wealth but life」があります。日本における文化経済学の建学者である池上淳先生の訳では「命を成長させる営みがあってこそ豊かさが生まれる」となっています。宇沢先生が読んだのは河上肇の『貧乏物語』で冒頭の「富、何者ぞ。ただ生活あるのみ」の河上訳で、そのラスキンの言葉に激しく心を揺さぶられたことが「経済学は人間を幸福にしたか」と厳しく自問する「誇れる経済学者」を生んだのです。池上先生の「命を成長させる営みがあってこそ豊かさが生まれる」が、私の目指している「いのち賑わう人間の家」と相似形をなしていると思うのは私の勝手な思い込みに過ぎないでしょうか。

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