エッセイ

「まだ眠るわけにはいかない」と書いた日からの10年を―いささか情緒的な備忘録として。(その4)

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生

【エスキモーに氷を売るためには、何をすべきか・芸術愛好者でない市民へのアプローチを】

社会包摂型コミュニティ・プログラム『alaまち元気プロジェクト』による成果は、アーラのソーシャル・ブランディング戦略を進めるうえで肝となる事業でした。早稲田大学での講師時代は、物書きのかたわらで「文化事業」という茫漠として科目を教えていましたが、宮城大学・大学院研究科では「アーツマネジメント」、「アーツマーケティング」、「文化政策」とかなり限定的な授業を任されました。その中でも軸になったのは「アーツマーケティング」で、90年代から「マーケティングの欠如こそが文化芸術と劇場ホールの最大の弱点」であり、税金を投入する根拠に対して社会的合意を形成できないのもマーケティングスキルの欠如が最大の原因であると思っていました。90年代になっても「良いものを創れば客は来る」が芸術の世界では普通に言われていましたし、一部には「マーケティングの必要性」を感じている人もいましたが、それでも「マーケティング」を「集客のための打ち出の小槌」とか「集客のための特別なマジック」と考える程度の認識で、話してみてかなり落胆したことがあります。

アーツマーケティング研究の調査のために某オーケストラを訪ねた河島伸子同志社大学教授に対して、「私たちは芸術をやっているので」と言い放った者がいたという笑えないエピソードが、その頃の「マーケティング理解」を良く表しています。私は宮城大学の学部3年次で「文化事業」を選択した学生全員に、ジョン・スポールストラの『エスキモーに氷を売る』を読ませる課題を設けていました。ウェブ上に連載した『創客の劇場経営 ― 《人間》を中心に据えるマーケティング』の第1章が『エスキモーは氷を買うか』(2010年8月2日脱稿)だったのは、今回この原稿を書くうえでPCのマイドキュメントを検索して分かりました。「価値転換の創客」にジョン・スポールストラの経験がどれだけ私に大きな気づきを与えたかを改めて自覚させられたのでした。来し方を振り返ってみると、すっかり忘れているいろいろなことに気付くものです。(http://www.kpac.or.jp/kantyou/ronbun_41.html)

ジョン・スポールストラは、NBA(全米バスケットボール協会)で5年連続最下位か、せいぜいそのひとつ上にしかランクされていなかったニュージャージー・ネッツのCEOに91年に就任することになって、戦績ばかりか、観客動員数も全米最下位だったチームのチケット収入伸び率を、僅かな期間で全米1位に導くことになる人物です。それも何と選手補強をせずに最弱のチームのままで、マーケティングの設計のみで高収益を達成したのです。当時ネッツの経営環境は最低でした。近隣には、ハドソン川を渡ればニューヨーク・ニックスという当時は常に優勝争いをしていた人気チームがあり、ニュージャージーのバスケットボール・ファンはネッツよりもマジソン・スクウェア・ガーデンを本拠としていたニックスにロイヤルティを感じていました。彼の経営戦略のキーワードは「ジャンプ・スタート・マーケティング」です。平たく言えば「常識破りのマーケティング」。つまり、私たちが持っている「常識」を一度完全にリセットすることから始まるマーケティング発想で、彼はその手法でニュージャージー・ネッツの経営において驚くべき成果をあげることになるのです。なぜ、私が学部3年次に『エスキモーに氷を売る』か、あるいは続編の『エスキモーが氷を買うとき』を購入して、前期のレポートの課題と予告し、前期を通して全員に読ませようとしたのか。理由は至極簡単明瞭です。日本で文化芸術の仕事とするということは、たとえば「エスキモーに氷を売る」ような、まずとてつもなく高い障壁と向かい合うことが課せられるからです。趣味趣向に類することであり、「生活するうえで必ずしも必要ではない」とアーチスト自身さえもが口にするのを憚らない類のサービスであり、そのために従来からの「常識」の居心地の良さに安住していてはイノベーションなんて100%起きないことを「文化事業」を選択した学生たちに知らせたかったのです。

日本の文化政策が2011年2月の「第三次基本方針」を嚆矢にして、「劇場法施行のための大臣指針」、「第四次基本方針」、今年度早々に閣議決定された「推進基本計画」と変化してきて、以前の「赤字補填の保護政策的文化政策2.0」の流れから、補助金・助成金を「社会的費用」(コスト・負担)という捉え方から「戦略的投資」と転換すると基本方針に明言しているように、社会的・経済的な「変化」というアウトカムを求める「文化政策3.0」に大きく変化していることに気付いておられる方もいらっしゃると思います。「赤字補填」の公的支援制度を変えるための議論は、2010年度の第8期文化政策部会で幾度となく議論され、論点が深められて、「特に演劇の裾野を広げる基金の支援は、単なる赤字補填として、裾野を広げる上で効果不十分な面もあったのではないか」という文化庁の自省の発言もあり、「インセンティブの働く」補助金制度へのラジカルな改革が7年間かけて行われたのです。にもかかわらず、保護政策的な公的資金の枠組みから抜け出せないで、そこに只々しがみついている芸術団体・芸術家及びその統括団体、劇場音楽堂等の経営者及びその統括団体がいまでもあることには、私はほとほと呆れるばかりです。強い者が生き残るのではなく、「変化」するものだけが社会から存続を許されるという自明の経営ロジックがあるのにもかかわらずと私はいささか失望しています。これからは「政策提案」を自らの課題解決の方法として行うことが期待される時代に舵が切られたというのに、です。

経済学のジョン・メイナード・ケインズの「人間が一番難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを捨てることだ」は、いまもって旧来からの「保護される芸術・劇場という常識」に縛られて最終受益者を自らの手で極小化してしまっている彼らに贈りたい言葉です。そのことに気付きのない芸術家及び劇場人を見ると、私はこのケインズの言葉を思い出します。それに関連したもうひとつの、受け止めなければいけないケインズの警句は、「合理的な判断と同時に、冒険的な衝動が起きなければならない」です。現行の政策と安定的な経営手法でさえブレークスルーするほどの、爆発的・冒険的な経営手法の提案をし続けることが、次第に「真のイノベーション」に至るのです。「金がないなら知恵を出せ」です。その「変化のための種子床」である現場を持っているのですから、「真のイノベーション」は机の上からではなく、現場でのお客様である国民・市民との関わり合いの中からしか立ち上がらないことをはっきりと証し立てるべきなのではないでしょうか。閑話休題。

当時、前述の「障壁」を越えて顧客価値の高度化を図れた先行事例は日本では皆無でした。ここを越えないかぎり、アーツマネジメントも、アーツマーケティングも、文化政策も、すべて「画餅」に等しいと感じていました。90年代の「アーツマーケティング」と「アーツマネジメント」への理解は、伊藤祐夫氏が1996年に『地方自治JOURNAL』に紹介したウイリアム・バーンズの『MANEGEMENT&ARTS』でのアーツマネジメントの定義、「芸術と社会の出会いをアレンジする」、いわゆる「社会との架け橋」論に止まっていました。現場では実学としての芸術経営の知見と実証が求められる以上、この抽象的な定義には「ぼんやりとした同意」はあるものの課題の解決策にはならないとの違和感を私は持っていました。また、前述したように「マーケティング=商業主義」とレッテルを貼られていた時代でもありました。マーケティングと芸術は「水と油」という風に芸術団体には認識されていたのです。劇場音楽堂等は、「鑑賞」に限定すれば趣味趣向に依存する需要関数に左右されますが、劇場が果たすべき多様な社会的機能においては、ひとたび社会的・精神的孤立に陥った場合の短期的の「処方箋」の役割を、中長期的には共生社会の果実の恩恵にあずかるセーフティネット=保険の役割を果たすのです。その意味では、「社会保障費、毎年5000億円の増加」と危機を煽って増税を正当化するくらいなら、劇場音楽堂等の持つ社会的機能を十全に発揮させ、文化芸術の社会包摂機能をフルに活用して、社会コストの抑制を図るほうが、また仮に削減するにしても緩和的な措置を可能にするように「経済的効果」を図る方が国の財政運営への社会的合意を容易に得ることが出来るのではないでしょうか。

象牙の塔の中での「学問としての芸術経営」ならまだしも、現場で通用するアーツマネジメントとアーツマーケティングは、現場で成果を出してこその政策エビデンスであると痛感していたのが90年代の私でした。私が学生に与えた課題は、「アーツはさして生活するのにはさして必要はない」とするほとんどすべての日本人と一部のアーチストの自嘲的な呟きという負のメンタリティに真正面から向き合って、自分自身もおそらくは持っているだろう「常識」をこなごなに粉砕することからしか、現場に即した実学としてのアーツマネジメントも、アーツマーケティングも、文化政策も始まらないという認識に学生自身が立つための、それは必要なレッスンだったのです。そういうプロセスを経過することなしには、劇場音楽堂等と芸術団体に必要な人材へは一歩たりとも踏み出せない、近づけないということでした。通常は、観客数を増やそうとするなら「チームの強化」に着手するのでしょうが、スポールストラはその「常識」に組みしなかったのです。ピーター・ドラッカーは『断絶の時代』で、「セリングとマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。何らかのセリングは必要である。だが、マーケティングの理想はセリングを不要にすることである」と断じています。これを私は、「売るのではない、売れる環境をつくるのだ」と理解しています。マーケティングとは「売れる環境をつくる」ことなのです。ジョン・スポールストラはまさに「売れる環境」を短期間で整えて大成功したのです。

と同時に、私は宮城大学・大学院で教員をしていた折に、社会貢献型マーケティング(CRM/Cause Related Marketing)に強い関心と奥深い可能性を感じて研究していました。ちょうど大学を移った翌年の院生の一人の修論指導で彼女が「コーズリレイテッド・マーケティング」を研究テーマにすることが決まって、あわせて90年代から続けてきた企業メセナに対する経営側の意識を探るCSR(企業の社会的責任経営CSR/ Corporate Social Responsibility)への洞察も深めることになります。日本の社会は新自由主義的な政治経済思想が前面に出るようになり、1997年を境に息苦しい雰囲気が漂っていました。労働分配率も低下し続けて、非正規雇用が常態化して、消費マインドは冷え込んでいました。働く者の所得を企業利益に移転するという、「何が何でも経済成長」の空気が日本を覆い始めていました。ITバブルと言われていましたが、「実感のない好景気」はこののちも常態化していきます。新自由主義経済思想によって「株主資本主義」が躍り出て、いわゆる「物言う株主」によって現在では「企業による文化支援」さえも難しくなっています。そのことでオーケストラ経営が困難になっています。一方で、消費者マインドは、可処分所得の年々の減少にもかかわらず「賢い消費」に向かっていて、「節約志向ではあっても賢い消費」をしたいという消費者の心の動きが際立つようになっていました。「何を買うかよりも、誰から買うか、何処から買うか」を吟味選択する傾向が強まっていると、私は感じています。

すなわちCSRとCRMが共振し、呼応して、「消費行動による社会貢献」に向かうことに「共創価値」(CSV/Creating Shared Value)を見出す時代に、そして成熟社会の消費者を「賢い消費」に駆り立てるような「変化」がマグマのように動き始めたのです。イオンの「幸せのイエローレシート運動」、女性製品メーカーの「ピンクリボン運動」、ティッシュメーカーの東チモールへの「公衆トイレ設置運動」等々、私たちの日々の生活によく目を凝らせば、「消費行動による社会貢献」はいたるところにあります。フィリップ・コトラーの提唱するマーケティング3.0及び4.0、さらには社会貢献型マーケティング(Cause Related Marketing)とは、そのような循環を設計することであると私は理解しています。コトラーはマーケティング3.0を提唱する際に「Marketing the world better」 と書いて、「売れる環境、すなわち健全な社会環境を整える」ことが事業体の使命であり、それが事業体経営の持続継続性を担保すると説いています。ドラッカーも、「社会や経済は、いかなる企業をも一夜にして消滅させる。企業は社会や経済の許しがあって存在しているのであり、有用かつ生産的な仕事をしていると見なされるかぎりにおいて、存続を許されているに過ぎない」と書いています。

つまり企業・組織はまぎれもなく社会の一員であり、「社会のニーズ(注 決してウォンツではない)を満足させる=顧客を創造する」ためにあるのであり、だからこそ「社会から存続を許されている存在」なのだということです。松下幸之助翁の「企業は社会の公器」という発言も同根のロジックだと私は理解しています。ひるがえって劇場ホールと芸術団体は、従来から「社会から存続を許されている存在」だったのだろうか、そうだとするとあの「ハコモノ批判」や「税金の無駄づかい批判」は何処から来ているのだろうか。「社会から存続を許されている存在」になるためには、そして「ハコモノ批判」や「税金の無駄づかい批判」の厚い障壁をブレイクスルーするには、その初手は「負担と受益の圧倒的アンバランス」を覆さなければならないと、私は宮城大学の教員時代とアーラの経営の中で、社会包摂型コミュニティ・プログラムによる市民の意識の変化に立ち合って学ぶことになります。劇場音楽堂等と文化芸術が「趣味・趣向」に全面的に依拠するものから、「主義・主張・生活信条・価値観」によっても支えられて、日々の生活を営む上で必要とされるものとして「コペルニクス的転換」を果たさなければ、と私は考えました。アーラの経営理念である「社会包摂型劇場経営」はそのために設計されているのです。

そして、それこそが、私が最近の「変化」を指して「文化政策3.0」と言っている国の文化行政の向かう方向なのです。時代は保護政策的な文化行政から、「戦略的投資による価値の実現」へと「第三次基本方針」以降7年間という長い時間をかけて移行したのです。今年度から文化庁から芸術文化振興会基金部に移管されて「劇場音楽堂等機能強化推進事業」の申請書類が大きく改変されたことに不満を持った劇場関係者が多いと仄聞しますが、「時代環境の変化」をいち早く察知してみずから変化するのが経営者だとするなら、むしろ「変化」を察知できなかったみずからの経営者としての器量を恥じるべきと私は思います。「変化」には、摩擦と痛みと苦悩が伴います。それを経過して、孤立と不安を自らの「事業定義」への確信によって乗り越えた組織だけが「社会から存続を許されている存在」になるのです。強い者、大きな者が生き残るのではないのです。「変化」するものだけが時代の変化による淘汰を回避できるのです。

さらに、競争社会を煽っていたあの経営戦略の権威であるマイケル・ポーターでさえも、従来からの企業の社会的責任経営(CSR)は「慈善事業への寄付ボランティア等、本来事業との相関性のないものが多く、社会的インパクトによって社会を変化させようとは本気で考えていない。事業戦略と結びついたものにすべき」と、2011年の『ハーバード・ビジネスレビュー』に『Creating Shared Value』(邦題『経済的価値と社会的価値を同時実現する共通価値の戦略』)を発表して「戦略的CSR」という概念を提起して、CSV(Creating Shared Value)=「共創価値創造」という概念を提唱するようになります。従来の社会的責任経営は「慈善事業への寄付ボランティア等、本来事業との相関性のないものが多く」、事業体の負担となっているのに対して、「戦略的CSR」としてのCSV(Creating Shared Value)=「共創価値創造」は、その事業体の持つ強み(経営資源・専門性等)を活かし、ビジネスの一環として社会課題を解決するという視点への転換であり、攻めのソーシャル・ブランディングであり、経営発展性を担保するものと捉えることが出来ます。

文化芸術や劇場ホールのサービスは「共創性」(Co-creativity)という「プラットフォーム型の商品特性」を持っており、それを梃子としたマネジメントとマーケティング手法は、「強み」を活かすという点で「戦略的CSR」、すなわち「CSV(Creating Shared Value)」を強力に進めるうえでベストマッチングであると私は考えました。私がアーラに非常勤館長として就任した2007年の『ハーバード・ビジネスレビュ―』で、マイケル・ポーターは、CSV前段となる『Strategy and Society』(邦題 競争優位のCSR戦略)で「戦略的CSR」をはじめて提唱しました。 そして私は2008年に、このマイケル・ポーターの経営戦略を応用して、2009年度に「alaまち元気プロジェクト」を年間267回実施で立ち上げました。その成果として、2014年統計ですから少し古いデータですが、就任後7年間で来館者はおよそ20万人増加、観客数は3.68倍、パッケージチケット数が8.75倍、そして、2016年の数値ですと、マーケティング投資収益率(MROI)が5.62というアウトカムを引き出したのです。この数値は、コトラーの「マーケティング4.0」で提示された従来からのB to B(企業集団と企業集団)、B to C(企業集団と消費者)というマーケティング・フレームを超えたB with C(消費者・市民との協働と共創)の成果だと思っています。まさに劇場音楽堂等というプラットフォームでの「市民との協働と共創の仕組み」へのイノベーションが、社会機関としての役割を形成しつつ、劇場音楽堂等がいままで「見たことのない風景に出会う」という、新しい地平を切り拓くことになったのです。

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