エッセイ

「まだ眠るわけにはいかない」と書いた日からの10年を―いささか情緒的な備忘録として。(その2)

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生

【「助走」から、ブランディング戦略の展開へ/東京の評価が地域の人たちの価値になるとは限らない】

いまになって考えると、大学との兼務であった一年間の非常勤期間があったことが、毎週仙台市郊外の黒川郡と可児を往復しなければならないというルーティンは体力的には辛いものはありましたが、初体験である劇場経営をするうえでとても幸いしたと思っています。常勤となる2008年度当初からトップギアで急発進できる「暖機運転」が出来たし、「仮免一年」のあいだにアーラの事業企画の弱点と職場環境の脆弱さと市民意識と可児市の特性を「鳥の目、虫の目、魚の目」で充分に吟味しながら、翌年度から導入する諸々の制度策定と軌道修正を同時進行で進めることが出来たと思っているからです。非常勤の一年間の助走期間に決定したことは多岐にわたりますが、大きなことから書き連ねれば、劇団文学座と新日本フィルハーモニー交響楽団との「地域拠点契約」の締結、「演劇まるかじり」、「まるごとクラシック」、「ウェルカムホーム」、「かに寄席」、「アラカルトパッケージ」等の各種パッケージチケットの設定(およそ20%OFFで、継続購入者には2年目にさらに5%OFF、3年目もさらに5%OFFと最大30%OFF)、さらに公演当日の午前0時からハーフプライスになる半額チケットを含む、一週間前からだんだん割引率が高くなってディスカウントになる「DAN-DANチケット」を日本で最初に導入しました。

当日ハーフプライスを含む「DAN-DANチケット」は、10年が経過した現在でもアーラでのみで実施しているチケッティング・サービスです。このチケッティングシステムをご利用になって、2014年6月のダニエル・ハーディング指揮、ヴァイオリン/イザベル・ファウストの新日本フィルによる「サマーコンサート」で、ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.77とブラームス/交響曲第4番ホ短調 Op.98を年金生活の高齢のご夫婦がお聴きになり「この制度のおかげで、夫婦で一緒に聴くことが出来ました」とのアンケートをいただきました。結果的に包摂型のチケッティングとして認めていただいた、との歓びを感じるエピソードもありました。誘い合って舞台芸術をコミュニティ形成のツールとする「ビック・コミュニケーションチケット」等のチケッティングシステムの制度設計、インターネットでチケットを座席指定で購入できて、コンビニでも決済・発券できるシステムの導入に向けての緒方拳一人芝居『白野』でのトライアウトとそのデータ収集と分析、それを受けてのシステム導入の政策根拠づくりと内部への説得、そして就任初年度の事業計画を練って、私がみずから先方事業者との価格と諸条件を含めてのタフな交渉をして、翌年度からの年間事業計画を丹念に積み上げたことでした。

大切にしたことは、全体テーマを「家族と絆」としたことと、分野ごとのラインアップに「物語性」を持たせること、そして「市民の半歩だけ先に行く」公演内容であることで、いわば可児市民に「マス・カスタマイゼーション」(可児市民の価値観でカスタマイズされているマーケティング)したラインアップにすることでした。ラインアップの「物語性」は、劇場経営にとって最も大事な「継続客」を創出するための基礎条件です。一つ一つの事業がばらばらで孤立していてはいけない、ラインアップ全体の「物語性を消費」してもらうことが経営に必須となる継続客を創出することであり、また同時に東京での市場の評価は、東京圏という大きなマーケットにおける「一部の愛好者」の評価であり、それが可児市民にとって必ずしも「価値」になるとは思えない、という二つ根拠で事業計画を進めて、「マス・カスタマイゼーション」によるブランド・マーケティングを進めました。「可児市文化創造センターala」のブランディング高度化のための柱の一つになると期待する創造事業であるアーラコレクションシリーズは、およそ1ヶ月半の可児滞在で舞台を創り込み、市民との自然発生的な関係づくりのマーケティングを促進するためにも、「失敗を回避する」ためのリスクマネジメントは最重要課題でした。一回の失敗で失う信頼と信用の大きさは、回復させるのに最低5年は必要になります。そのための対策としては、「新作」のリスクを回避することでした。評価の定まった作品を取り上げることしかないと判断しました。過去に上演されて高い評価を得た作品か、繰り返し上演されている翻訳劇を製作することで「失敗の回避」を具体的にすることが、先行している有名劇場に対して後発の可児市文化創造センターalaの「価値」を確実に高度化する戦術だったのです。

あわせて全国的には「地域発」と標榜しながら「東京稽古」を前提としているプロジェクトが常態化している中で、何としても「可児1ヶ月半滞在」のアーチスト・イン・レジデンスに拘りました。それは、アーチストの滞在する期間に市民とのあいだに必ず起きる関係づくりの「化学反応」を重視したからにほかなりません。これほど確実な「売れる環境づくり=リレーションシップ・マーケティング=創客」はないからです。キャストとスタッフの可児滞在に係わる費用は確かに大きい額になります。しかも、「可児」をきちんと読める事務所、俳優、スタッフのいない地点からの出発でしたので、とりわけキャスティングには苦労しました。何回も出演依頼を断られることを繰り返しました。俳優は東京稽古ですとマスコミや映像の仕事を入れることが出来ます。事務所としてもその方が稼働効率は良いですし、ましてや医者に定期的に健診を受けなければならない病歴がある俳優の場合は事務所もより慎重になります。当然ですが可児のプロジェクトに出演しても「キャリア・パス」にはならないという事務所判断もあったと思います。「地域発・東京稽古」が常態化するにはそれなりの事情はあるのです。

しかし、私はそれでも「可児滞在による製作」を放棄するつもりは1ミリもありませんでした。市民サポーターさんたちのもてなしを含めて、「創造環境の良さ」には絶対の自信がありましたし、多くの市民との出会いの中で起きる「創客」の芽が、当面の公演ばかりか3年後、5年後の実りを必ず約束するとの自信があったからです。「化学反応」で形成される「関係資本」は、いくらお金を積んでも一朝一夕に出来るものではないし、期待さえ裏切らなければその市民の後ろに控える「潜在顧客」をいくらでも掘り起こせると確信していたからです。「バズ・マーケティング」(口コミ・マーケティング)ほど 効果的なものはありません。伝える相手の関心に沿って情報がカスタマイズ化されるからです。滞在費用は確かに大きな資金負担になりますが、その幾層倍の鑑賞者開発と潜在顧客の掘り起こしと、確固たるブランディングに結実すれば、キャスティングがどれだけ困難であってもそこに執着すべきだと思っています。

また、事業数としては多い買い公演に対しては、どうしても「言い値」では絶対に買わないというDNAを職員に植え付ける必要がありました。その頃はまだ「地域は言い値で買ってくれる」という「常識」が東京の芸術団体にはありました。時に電話口での価格交渉の激しいやりとりを職員に聞こえるように大声ですることもありました。そのコストに対する厳しさを植え付けることが、地域の劇場ホールにとって市民から税金によって付託された大事な使命のひとつと思っていたからです。あまりに地域を舐めた価格設定と上から目線での対応に、有名カンパニーや興行会社に電話口で毅然と「出入り禁止」を申し渡したことも再々でした。前館長時代に決められた『中島みゆきコンサート』が非常勤時代にあって、可児市でのリハーサルに充分な日数をかけてやるプロジェクトでしたが、出演者・スタッフは1日の仕事が終わると名古屋のホテルに戻っていました。あわせて、音響席を除くと1000席弱のうち可児市民に提供されるのは300席のみで、あとはプロモーターを通してのファンクラブ等への配券となっていました。これが当時の中央と地方の関係だったのです。「当日ハーフプライス」を含む「DANDANチケット」等の適応に激しく抵抗をするポップス系のプロモーターがいました。当日半額になるのは歌手の価値が貶められるとでも感じるのでしょう。私たち劇場ホール側がお客様であるのに、その経営システムにまで介入するのは明らかな越権行為であり、入場料金の多寡でしか自分の抱えるアーチストの価値が分からないのならプロモーターとしての資格がないと判断することにしました。そのようなプロモーターの営業は一切受けないことにしました。地域とその市民を「舐めている」としか思えませんでした。原資は税金なのです。そのあたりの分別を彼らに求めるのはどだい無理なのかも知れませんが、彼らにとっては「常識はずれ」と思ったに違いありません。

同時に着手したのは価格政策です。従来のアーラの入場料設定は、同じ演劇でも買い取り価格と1019席の主劇場なのか311席の小劇場での開催なのか、小劇場で1回公演なのか2回公演なのかによって変動するシステムで、これは「パッケージチケット」を組む上で毎年価格が変動してしまって市民の「購買意欲の減衰」に作用するし、継続客となる「モチベーションの阻害障壁」となります。顧客の立場に立って、「予期された出費」にする必要があると考えて、当初はチケット価格の廉価化となるような価格政策を採ることにしました。演劇はどのような舞台でも3000円(現行4000円)、クラシックのアンサンブル演奏会は4000円(現行も同価格)、フルオーケストラは7000円(現行も同価格)、2年に1度のウィーン・フォルクスオーパーによる「ニューイヤー・コンサート」は8000円(現行も同価格)と固定化する価格政策を採用しました。これは、名古屋がアーラの1.5倍、東京が2倍と概ね言える価格設定です。旅費交通費と運搬費、日当がかかるのだから東京より廉価なのは経済合理性に欠けるという意見もあろうかと思いますが、国と自治体及び基金、財団からの公的支援がある以上、公立劇場は民間のチケット価格よりも廉価でなければ政策合理性に欠けるし、仮に1万円のチケット料金で500人がアクセスするとするなら、5000円で1000人、2500円で2000人のアクセスを可能にする方が、収支は同じであっても、公立劇場の選択肢として政策的な整合性と正当性があるというのが、私の一貫している考え方です。したがって、出来るかぎりの低廉化は公共政策上、理に適っていると考えています。

当然、満席ソウルドアウトとなっても黒字とはならない事業がいくつもあります。それを私は「赤字」とは言いません。劇場の設置運営は「政策目的」ではなく「政策手段の設置」であり戦略的な投資と考えているので、公共政策であるという位置づけがしっかり成立しているのなら「地域社会への投資」、「住民の幸福度を高度化するための戦略的投資」と考えるべきと私は思っています。したがって、社会包摂型のコミュニティ・プログラムは当然のことですが、鑑賞型事業収支も「地域社会の健全化と共生社会形成のための戦略的投資」と考えるべきなのです。「私たちは興行師ではない」とは、職員にいつも繰り返し言っている公立劇場職員の経営への心構えです。「経営」とは「新しい価値」を生むことであって、その「価値」は経済的利得、利潤とは限らない、というのが私の持論です。「高度な芸術的成果」も「<変化>を生む社会的成果」も「新しい価値」です。しかしながら、就任直後のリーマンショックによる消費の減速時には価格政策で「いつ値上げをするか」の動揺は毎年のようにありました。散々逡巡した挙句に2014年、消費税が5%から8%に改定された年に演劇公演の料金を、それまでの3000円から4000円に値上げしました。これには「価格弾力性」の実証的なデータ集積によるエビデンスが必要なのですが、実際に値上げしてその弾力性を検証する訳にはいかないので、一応の仮説検証を試みました。私は度々「地域慣習価格」という言い方をします。これは地域によって「劇場使用料」、「クラシックのアンサンブル」、「フルオーケストラ公演」、「演劇公演」等で価格に相違が出る概ねの目安となる価格です。

ならば私の言う「地域慣習価格」はどのように決めるのでしょうか。おおよその拠り所は「総経費」という供給側(劇場ホール)の事情ではなく、享受者側(市民)の事情からくる「価格弾力性」にあります。供給側の事情だけで値上げを断行するのは「商い」ではありません。WIN-WINとなる均衡点を探るのが「商い」です。「価格弾力性」とは、価格が変動しても需要が減らないことを「弾力性がない」と言い、価格が変わると需要に変化が生じることを「弾力性がある」と言います。たとえば、アーラの経験則でいえば、「小澤征爾」は1万5000円でも3万円でも「弾力性はない」ことが分かりました。フルオーケストラのコンサートは、6000円と7000円では需要は変動しないのですが、可児では8000円を超えると需要は急速に減少傾向となります。これらの「価格弾力性」がなくなる地点が「地域慣習価格」なのです。むろん、そこには経済事情や社会変動などが背景としてあります。それをも考え合わせて精査しなければなりません。

「価格弾力性がなくなる」ということは、別の言い方をすれば、「劇場通い」が日常的な生活習慣に近づいていることを意味します。当時、演劇の「鑑賞者開発=創客」が順調に進んで、非常勤での就任時の2007年の演劇の「パッケージチケット」購入者が24名だったのですが、当時は180名前後となっていて、その後240名を超えることもありました。いわば「需要の安定」が実現していることから4000円になっても「価格弾力性はない」と判断したのです。さらに景気もさることながら、「労働者派遣法」の度重なる改正によって非正規雇用率が高くなって、今後は年金が抑制される見通しにもなり、近い将来可処分所得の低減化が必定と予想される社会経済的な状況でした。現に最近発表された昨年の家計調査によれば、2000年から2017年のあいだに「教育娯楽費」の支出が19.2%も減少しているのです。そこで、2016年にはパッケージチケットを、従来からの1パッケージ4本を3本に減数化して、1回の支払額が23000円を超過することのないように価格政策を改めました。

次に大切に組み立てたのは、次年度から始めようと考えていたコミュニティ・プログラムである『alaまち元気プロジェクト』の講師選定と対象分野と施設等への働きかけと環境づくりです。非常勤で就任した時に、アーラに関わる職員と清掃、警備、管理、舞台技術等の常駐委託業者職員のおよそ80人を3つに分けて、これからの経営方針を説いた折に「人間の家」と「社会機関としてのアーラ」の2つをキーワードとして、私たちの仕事と使命をセオドア・レビットの提起した「事業定義」をして、それをベースとして「ミッション」を掲げました。それは、可児からの創造発信事業(アーラコレクションシリーズ、森山威男JAZZNIGHT等の6事業)の柱と、もう一つ社会包摂型プログラムの『alaまち元気プロジェクト』という「2本柱の経営」を想定したものでした。ただ、その頃は「文化と教育」と「文化的な賑わいのまちづくり」は補助金制度上も認知されていましたが、「福祉」、「保健医療」、「社会的障がいによる立場の弱い人たちの居場所づくり」等の、私が考える社会包摂型コミュニティ・プログラムは、むしろ芸術聖域主義者による芸術道具主義という批判と排除の対象になる姿勢があり、これが「壁」となっていました。それに連動していますが、90年代からコミュニティアーツ活動は「アートセラピー」として厳しく峻別して「芸術の本来機能」ではないとの芸術の側からの没論理的な差別を受けていました。したがって、『alaまち元気プロジェクト』を動かすには、教育・福祉・保健医療関係者との「認識の共有」をして、その結果としてアーラについての「言葉が揃う」という環境づくりを丁寧にしなければならなかったのです。

このプロジェクトは、アーラが「ハコモノ批判」と「税金の無駄づかい批判」の対象とならないために「負担と受益の圧倒的アンバランス」を是正する経営姿勢として必須となるもので、劇場の事業を広報宣伝情報として大量に流して出来るだけ大きく蜘蛛の巣を張って観客・聴衆がかかるのを待つというWaiting Mode(蜘蛛の巣型)から、ニーズのあるところに飛んで行って受粉してそこに実りをもたらす代わりに蜜(顧客・支持者・共感者)を生み出すSeeking Mode(蜜蜂型)に転換させようと企図する経営戦略の主軸です。これは、1998年にウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)の当時の経営監督マギー・サクソンに誘われて同劇場を訪れて、そこで目にした経営手法にヒントを得た経営戦略です。それまでの日本の劇場ホールにはない「戦略と戦術」でした。90年代に入ってから提唱していたことを前述の『芸術文化行政と地域社会』に1997年にまとめたのですが、阪神淡路大震災の時に組成した「神戸シアターワークス」の活動あたりからその考えに逆風が強く吹くようになり、同書を上梓した時はまったくのアウェーで、「売名行為」とか「芸術を貶める」とかの露骨な言葉を浴びせられるようになっていました。

しかし、WYPを訪れてその劇場で、そしてリーズという地域で起こっていることを目撃しました。衝撃でした。『芸術文化行政と地域社会』で構想した、そのままの劇場がそこにはありました。そうして、かなり苛烈なアゲインストに折れそうになっていた私は、「このままで良いのだ」という確信を持つことが出来たのです。「北海道劇場計画」でもそのような目的と使命を持つプロジェクトは計画に織り込みましたが、知事交代で計画は凍結されてしまいました。計画を進めている時に当時の担当課長であった山谷吉宏前副知事から「そういう劇場は日本の何処にあるのですか」と訊かれて「何処にもないよ」と答えて煙に巻いたことがありました。そのあと招かれた可児市文化創造センターalaで『alaまち元気プロジェクト』として考え続けてきた劇場の在り様を実現出来たのです。当然ですが「北海道劇場計画」でのランニングコストは12億円程度でしたので、可児では全体パッケージは変えないで予算をダウンサイジングすれば実現可能となったのです。そして、受益者の層を厚く、広くすることで「負担と受益の圧倒的なアンバランス」を是正に向かわせ、劇場ホールへの公共的・社会的認知を拡大させるための第一歩を踏み出したのです。

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