エッセイ

蜘蛛の巣型(waiting mode)から蜜蜂型(seeking mode)へ

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

表題にある「蜘蛛の巣型から蜜蜂型へ」というのは、私が90年代に盛んに言っていたマーケティングの転換をすべきとのメッセージです。当時は「蜘蛛の巣型」の広報宣伝一辺倒の時代で、かなり真面目なストレートプレイなのに、一瞬舞台で裸になる場面を写真週刊誌に掲載させて話題づくりをすると言った手法が当たり前のように行われていました。出演者の「交際」、「婚約」、「結婚」なども広報宣伝のネタになったほどでした。ともかくも潜在顧客の関心を惹いて「蜘蛛の巣」を出来るだけ大きく張って、獲物(観客)がかかってくることをひたすら待つという「waiting mode」を手替え品替えてやることが、とくに銀座セゾン劇場、パルコ劇場などを含めた商業系の劇場の「広報宣伝部」の主な仕事でした。チラシや新聞・雑誌広告などの宣伝は、情報を川上から川下に大量に流すような、誰が受け取り、その情報をどのように扱うかにはまったく関心を示さない方法で垂れ流している有様でした。顧客ヒット率等の予算効率よりも自らの達成感でその効果を自己評価しているとさえ思えました。

当然のことですが、その効率は著しく悪い。1000枚配布して、実際に観客として来場するヒット率は0.2-0.3%と言われています。1000枚配って2人か3人ということなのです。これは新規顧客も既存顧客も合わせた最終的な顧客数とチラシ配布数から出るヒット率です。しかし、そのプロダクションを事前に知っている愛好家や、出演するアーチストのファンにとっては、チラシ等の宣伝ツールは基本的には何ら影響を与えないと見てよいだろう。テレビスポット、新聞等のマスメディアを駆使したマスマーケティングが幅を利かせていた時代です。それ以外には考えられない、あるいはマスメディア以外に信頼性のない時代でした。講演等の時によく言うことですが、広告心理学的に言えば、国道を60キロで車を走らせている時には、自分が欲している商品の店舗しか目に入らないのです。「ラーメンが食べたい」と思っていれば、それ以外の店舗は目に入りません。基本的な消費欲求がなければ事業の存在を知らせるチラシは単なる紙屑の束でしかないのが現実なのです。自分に置き換えて考えてみれば即座に理解できることです。

私はこの「広報宣伝」という考え方に90年代にマーケティングを勉強し始めた時から一貫して違和感を持っていました。この「広報宣伝」という考え方は、大量生産大量消費時代の白物家電等の消費財製造業に適用されていた60年代までの流通促進手法であり、いわゆる「4P」(製品Product・価格Price・流通Place・販売促進Promotion)のマーケティング・ミックスで戦略・戦術を組み立てることが有効な時代の考え方です。芸術系大学でいまだにアーツマーケティングをこの「4P」で教えている教員がいることには驚くのだが、フィリップ・コトラー風に言えば「マーケティング1.0」である。この消費拡大の手法をガルブレイスは「依存効果」として分析して、欲望はメディアによって創造され、それを模倣する消費者が拡大再生産されるという資本主義の構造を明らかにしています。この有効性が70年代を経過して80年代初頭あたりになると疑問符が付くようになのます。「大衆から分衆へ」ということが盛んに言われるようになり、趣味趣向・価値観の多様化が社会現象として定着するようになって、短期間で大量消費時代が終息して、「個客の時代」となり、個の消費欲求に対応する「カスタマイズ化」が産業全体の大きな課題となります。そもそも舞台芸術の鑑賞者開発に「4P」が適合するのか、という疑問を舞台芸術と劇場関係者は持たなければならなかったのといまにして思うのですが。

舞台芸術は「モノ消費」ではなく「コト消費」です。この違いは非常に大きいのです。サービス業としての舞台芸術団体及び劇場音楽堂等の仕事は、コトを創造して鑑賞していただき、あるいはコトを共創して認知欲求や自己実現をはかる機会を提供する業態であり、受け手である鑑賞者や参加者にとって、それが「新しい価値」になるか否かが厳しく問われるのです。それによって業績を大きく伸ばすか、短期間に著しく衰退するのかの分岐に立たされるのです。サービス業におけるマネジメントとマーケティングが時代の変化を取り込んで未来を創造する能力の巧拙によって死命が決せられるのです。つまりこの時期を境に「生産者主権」(プロダクトアウト)から「消費者主権」(マーケットイン)の時代に入ったのであり、「製品志向」から「顧客志向」に思考回路を転換させなければならなかったのです。「顧客の受取価値」だけがすべてというマーケティング2.0の幕開けです。「顧客満足」を追求する時代です。少なくとも、「B to C」(企業と消費者)の関係の在り方は大きく変化します。その伝で言えば、「4Pはもう時代遅れ」と登場した米国の経済学者ロバート・ラウターボーンの「4C」理論は、まさしく消費者主権に貫かれた考え方と言えます。「4C」とは、顧客価値(Customer Value)、顧客の経費(Cost)、顧客利便性(Convenience)、顧客とのコミュニケーション(Communication)に依る考え方で、顧客とのコミュニケーション(Communication)をひとつとっても、「4P」の販売促進(Promotion)が一方向の働きかけなのに対して対話という「双方向性」を持った顧客アプローチです。

「分衆」とか「個客」の時代に入って、購買対象である顧客をターゲットに即して分類するセグメンテーションが必須と言われるようになり、マーケティング・リサーチという「欲望の解読」が重要視され、年齢、性別、住所、世帯規模、家族のライフサイクル、所得、職業、学歴など人口統計的なデータである「デモグラフィック変数」と、価値観、ライフスタイル、性格、嗜好などの心理的特性のデータである「サイコグラフィック変数」を加味して顧客ターゲットを絞り込み、商品やサービス開発と改良・改善に応用することになります。そのような時代にあっても、芸術団体と劇場音楽堂等は公演終了時に回収されるアンケートを、唯一のマーケティング・リサーチ手法としていました。そのデータに信頼性があるのかをなんら検証することはなく、何の疑問を持っていなかった様子でした。「DMを出す住所を把握したいので」と私がおかしいのではと言うと必ずそういう反論が返ってきましたが、個人情報に対する意識がセンシティブなものになるとアンケートに答えても住所は書かない顧客がほとんどになってきます。「公演情報を送らせていただきます」のエクスキューズをアンケート下欄に記しておいても、私たちが1日に受け取る情報は、統計調査によって異なりますが、およそ7200と言われています。誰も「情報への飢餓感」を持っていないばかりか、煩わしいとさえ感じている時代なのです。ビデオの録画機器にもコマーシャルを自動的に飛ばして収録するザッピング機能が標準装備されている時代なのです。いかにアンケートというものが鑑賞者にとって無用化しているかの証左です。

マーケティングの際の媒体は大きく2つに分類されます。チラシやマスメディア広報、パブリシティなどのアウトバウンド媒体と、ウェブサイトのようなインパウンドの2種類です。アウトバウンド媒体は関心や興味のない者にも届いてしまうものであるのに対して、インパウンド媒体はそこにアクセスするという「意志」によって関心のない者は事前にスクリーニングされる選択的マーケティング・ツールであり、そこではネットを通して双方向のコミュニケーションも可能であるし、維持コストがきわめて安価であるにもかかわらず容易にミッションを達成できます。ロバート・ラウターボーンの「4C」理論、顧客価値(Customer Value)、顧客の経費(Cost)、顧客利便性(Convenience)、顧客とのコミュニケーション(Communication)にマッチしたマーケティングを展開できる環境が手に入るのです。マーケティングとは、誰かの心に火をつけるための活動であり、そのために「誰に」、「どんな価値を」、「どのように提供するのか」にフォーカスした環境を設けて戦略と戦術を考えて行かなければなりません。その意味で、80年代半ばに、まだ高機能のPCが未開発でITが一般化していない時代にあって、IT時代の到来を予測して「ONE to ONE Marketingの概念」を提唱したドン・ペパーズとマーシャ・ロジャースの先駆性には目を見張るものがあります。

私は最近、「マス・カスタマイゼーション」という語彙に強い関心を持っています。本来は「マス・プロダクト」、「カスタマイズ・プロダクト」と、大量生産に対して受注少量生産と正反対に使われる語彙が近年では、「マス・カスタマイゼーション」といって大量生産手法とコンピュータを活用してパーソナライズ(特定顧客向け)製品を低コストで比較大量生産する傾向にあると言います。どうしても高コストとなる製品・商品のカスタマイゼーション化、パーソナライズ化を、コンピュータによって抑制することでコストダウンを実現しているのです。「分衆」や「個客」が言われるようになって、「大衆」に対してマス・プロダクトは強みを持っていたが、そうでなくなるとマス・プロダクト製品は魅力の著しく乏しいものとなり、製品やサービスや情報のカスタマイズ化が志向されるようになりました。これは「顧客志向」や「消費者主権」のひとつの展開なのですが、受注生産だと非常に高コストとなるのは必然であり、提供価格としては市場適合性に欠けることになります。したがって、求められているのはカスタマイズされた製品やサービスや情報であるものの、完全なカスタマイズ化には至ったものなく、自動車などもハーフ・カスタマイズ化した車両を10日かに2週間程度で納車する期間の短縮によって顧客満足度を上げるにとどまっていました。

情報のカスタマイズ化は、2000年代に入ってSNSを活用して影響力のある人物によるインフルエンサー・マーケティングが流行しましたが、その発信当事者であるカリスマブロガーが企業や店舗から相当額の報酬を得ていることが何回となく露呈してしまい、いわばステルス・マーケティングの底が見えてしまって急速に勢いをなくすという事態もありました。口コミ(バズ・マーケティング)が究極の情報のカスタマイズ化であることは衆目の一致することなのですが、そのための手法はいまだに開発されていません。アーラではSNSを活用してバズクルーを組織して 今後展開することを考えています。「今が、時だ」ということで、「まち元気プロジェクト」へのクラウドファンディングと、このSNS活用のバズクルーの制度設計を昨日担当部署に指示しました。バズクルーのイメージは「勝手連」的なものでしょうか。

さて、「マス・カスタマイゼーション」です。用語的には真反対の意味を持つ「マス・プロダクト」と「カスタマイズ・プロダクト」を合体させた造語的な感はあるのですが、この対立概念を接着させるのがIT技術です。私はこの「マス・カスタマイゼーション」はマーケティングを時代の進捗、価値観の多様化という変化に対応させて進化させるひとつの解決策ではないかと思っています。とりわけて劇場音楽堂等のサービスにおいては、サービスの受け手は想像力と創造力を駆動させて新しい価値を「共創する」性質を持っています。つまり観客・聴衆の数だけ価値が共創されなければならないのです。想像力と創造力が動くためには、「感情が動く」ことが前提になります。「感情が動く」ためには目の前の演劇や音楽が観客や聴衆の心に働きかけなければなりません。彼らが目の前のパフォーマンスから逸れてしまっては「感情が動く」というライブパフォーマンスを楽しむ前提が崩れてしまいます。私が常々言っている「市民の半歩先」を行く企画とはこのことです。ただ市民におもねる舞台・演奏は、市民の価値観を追認するだけで想像力と創造力が動くという、ライブパフォーマンスにおける観客・聴衆の達成感は欠如してしまいます。また、東京での評価が地域の人々の価値観と合致して心を揺さぶるとは限りません。したがって、事業を決めるときに肝要なのが「市民の半歩先」なのです。これは、マス・カスタマイゼーションの範疇に適合する思考回路だと思っています。

「Marketing the world better」。フリップ・コトラーが2010年前後に提唱したマーケティング3.0の考え方を著した『コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則(2010,朝日新聞出版)』(原題 marketing3.0 From Products to Customers to the Human Spirit)の中で彼がマーケティングの役割として言い切った言葉が「Marketing the world better」(マーケティングは世界をより良いものにする)です。 この半世紀でマーケティングを取り囲む環境は劇的に変化して、マーケティングの概念も製品・商品・サービスをより多く売り、普及させる考え方から、企業・機関・団体のブランディングを進捗させて社会の健全化に資する手法へ、すなわちソーシャル・ブランドの構築へと大きく変化することになります。「マーケティング3.0」に続いてコトラーが提唱した「マーケティング4.0」では、その適合する範疇もB to C、B to Bのみならず「B with C」にまで拡張させています。つまり供給する側と享受する顧客との「価値共創」にまでに至っています。さらにその共創のプロセスで供給側の組織構成員にとっても、それが自己実現のモチベーションになると書いています。マーケティング4.0の考え方が、「飴と鞭」の成果主義によるモチベーション2.0から「やりがい」と「生きがい」のモチベーション3.0を実現して組織を変貌させるとまで看破しています。つまり、「マーケティング」は経営の一部門の仕事ではなく、企業・機関・団体の全体に深く関与する経営の根幹をなす理念であるとコトラーは主張しています。
 
私の誤読がなければ、3.0と4.0の境界がいささか曖昧であることを指摘しながらも、コトラーの新しい考え方に私は全面的に同意します。可児市文化創造センターalaに着任した2008年から、私はマーケティング3.0と4.0に合致する社会包摂型劇場経営を推し進めてきたと自負しています。そのことによって観客数で386%増、来館者数で194%増、マーケティング投資収益率5.62、資金調達額で38.57倍という数値を10年後の昨年に達成しました。現在の経済環境や社会環境の推移を俯瞰してみると、この数値を今後超えることはないだろう、良くて高止まりではないかとはと思っています。しかし、社会包摂型劇場経営が鑑賞者開発と資金調達環境の改善に向かう好循環をもたらすことになるということは、このアーラの10年の実績が動かしがたいエビデンスになると思います。「経済的にも、社会的にも、心理的にもアーラから一番遠くにいる人たちに、アーラの果実を届ける」と私は言い続けています。これが「蜜蜂型」のマーケティングであり、経営です。飛んで行った先に実りをもたらし、代わりに蜜をもらってくるという経営こそが、社会に必要とされる開かれた劇場を実現する第一歩なのだと、私は確信しています。

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