エッセイ

鑑賞者開発と資金調達環境を劇的に改善する、社会包摂型劇場経営を。

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

同志社大学の佐々木雅幸さんと鳥取大学の野田邦弘さんと、つい最近意見が一致したことがあります。ひとつは「障害者アートに偏った日本のアール・ブリュット理解はおかしい」と「社会包摂への誤解と曲解と我田引水は糺さなければならない」というのが二点目です。来年度から文化庁芸術文化課に社会包摂の係が新設されることもあって、昨年までは従来から実施していた「劇場課題」である鑑賞者開発・愛好者開発の教育普及・普及啓発のアウトリーチとワークショップをそのまま平行移動させて「社会包摂」と看板の掛け替えをして平然としている特別支援施設の職員のシンポジウム等での発言を見過ごしていましたが、今年からはそのような詐術や騙詐は厳しく糾弾しなければならないと思っています。

国の施策の柱となるのであるから、その言語規定は厳密になされなければなりません。私は制度設計については性悪説でつくられるべきで、その運用については性善説によるべきとの持論ですから、「社会包摂」という用語についても制度の根幹ですから曖昧な態度は許されるべきではないと思っています。厳しいようですが、事は劇場音楽堂等の公共的認知に関わることですし、名指しは避けますが国の特別支援に採択されている施設でありながらみずから「変化」しようとせずに時代の空気に便乗、タダ乗りしようとするのですから、特別支援施設としての矜持に悖る行為ですし、責任回避ですし、断じて看過できない所業だと思うのです。

さて、私は度々、劇場ホールの若手中堅が「アーラのように地域の社会課題の解決のために」と情熱を滾らせていても、「収入のない事業はできない」とか「あそこは特別」と変化することを拒んだりする行政からの退職派遣の充て職である意思決定権者の抵抗に阻まれて改革できない事例が数多くあることを述べてきました。派遣期間の3か年は何事もなく終わりたい、がその理由です。そのような個人的な事情で本来は受益されるべきサービスを受けることのできない市民が出ていることを私たちは問題視しなければなりません。事は「劇場課題」ではなく、教育や福祉や保健医療に止まらず、貧困、失業、自殺等の「社会課題」に及ぶ人間の尊厳にかかわることなのです。最近発表された厚生労働省の統計によれば、若年層の死因の第一位が「自殺」なのだそうです。これはただならぬ緊急事態だと認識すべきです。私たちが第三次基本方針を嚆矢とする「文化芸術の社会包摂機能」をもって向かい合わなければならない社会課題はとてつもなく重大で、しかも「未来への投資」と言っても大仰ではないことなのです。「収入のない事業だから」とか「アーラは特別」などと言って、変化することを拒んでいる時間的猶予はないのです。

「収入のない事業」と言いますが、アーラは私の就任初年度に社会包摂型事業である「アーラまち元気プロジェクト」を年間265回行ってアーラのソーシャル・ブランド化に踏み込んでから、観客数を3.68倍に、会員数を1.96倍にして、就任時に45.8%(100円投下して45.8円の売上)の収支比率を、消費税値上げ後に2年間は赤字にはなったものの、一貫して130%から140%の収支比率をキープして年間3000万円弱の純利益を出していました。ちなみに昨年度は3年ぶりに黒字に回帰して1160万円余の剰余金を計上しました。むろん、観客数が増加の一途だったこともありますが、あわせて補助金・助成金・地元企業団体協賛金の右肩上がりの増加も黒字決算を続けられた一因です。大型市民参加事業をアーラではフィリップ・コトラーの定義するマーケティング4.0の「B with C」(価値の共同創造)と捉えており、その予算に「アーラまち元気プロジェクト」とウェブ運営費、チラシ及びニューズレターの発行コスト等マーケティング・コストに加算すると、マーケティング投資収益率(MROI)は昨年度で5.62になります。ここで重要なのはマーケティング予算におけるブランディング・コストとして社会包摂事業である「アーラまち元気プロジェクト」(2015年実績467回)を積算していることです。「可児市文化創造センターala」を社会的ブランドとして確立させたことで、投資費用の5.62倍のチケット収入、貸館貸室収入、補助金・助成金・協賛金収入を実現させたということです。

昨年度からは、「アーラまち元気プロジェクト」の社会的投資収益率(SROI)の調査に踏み込みました。およそ30人の中途退学者を減少させた県立東濃高校の事例では、中長期的には暫定値でおよそ48億円の経済損失を免れ、12億2820万円の租税と8億5440万円の社会保障負担費の逸失を免れたことになります。また、昨年度一年の短期的には9.86のSROI値となりました。昨年度の東濃高校のワークショップへの予算執行額が193万円ですから、19,027,394円の行政コスト・社会コストの削減があったということになります。今年度も東濃高校への調査は継続することになっています。また、全国ニュースにもなった市内中学校のいじめ問題を契機とした「いじめ防止条例」の全国自治体初の制定と機を一にして4年前から始まった市内小学校の3年生、4年生を対象の教育委員会と連携したスクール・ワークショップの成果は、その3、4年生がちょうど中学生となり最近の中学校の落ち着きとして現象しており、今年度9月から可児市によって組成される専門家チームによる調査が始まることになっています。社会包摂事業の、このような政策エビデンスの定立化の作業は、全国の劇場音楽堂等にとっても事業実施の根拠となるものであり、アーラはその先駆者として全国のすべての劇場音楽堂等へ、その社会包摂型劇場経営の政策根拠を今後とも発信していきたいと思っています。

言葉はいささか憚れますが、社会包摂事業は決して収入のないプロジェクトではなく、鑑賞者を増加させ、ステークホルダーからの支持とアドボケイツを生み出し、補助金・助成金・協賛金の獲得環境を良好にする、いわば時間はかかるが「儲かる」プロジェクトです。収支を大きく改善することが見込める経営手法です。人間的な共感をベースとした強力なマーケティングを展開して強固な経営基盤を構築するものであることを多くの劇場関係者は知るべきではないかと強く思うのです。

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