エッセイ

ふたたび背中を押されて ― 芸術選奨文部科学大臣賞受賞の私的な意味。

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

第67回芸術選奨文部科学大臣賞を芸術振興部門で受賞いたしました。2008年に創設された「芸術振興部門」でも劇場経営の成果での受賞は初めてのことと知らされました。その意味では、劇場に携わっている多くの仲間や劇場経営を目指す若い人たちにとって励みなったのではないかと思っています。と同時に、その顕彰の責任の重さを感じています。

その贈賞理由は以下の通りです。
「衛紀生氏は,平成20年に可児市文化創造センター館長に就任して以来、『地域社会への貢献』『世界水準の舞台制作』を2本の柱に掲げ、市内の中高生を主催公演に招待し劇場体験する『私のあしながおじさんプロジェクト』を立ち上げた。平成28年は、親子が一緒に舞台芸術鑑賞を体験し、親子のコミュニケーションを取り戻す目的を持つ『私のあしながおじさんプロジェクト For Family』が軌道に乗り、大きな成果を上げた。そのほか,『まち元気プロジェクト』など、地域の文化資本や資源を活用して、継続的に地域社会の活性化を図っている。正に全国の劇場・音楽堂の範となる「社会包摂活動」の先駆者である」(贈賞式パンフレットより)。
いささか気恥ずかしく、面映ゆい感を禁じえませんが、9年間の自分の仕事がひとまず評価されたと同時に、まったく前例のない劇場経営に信じてついてきてくれた職員たち、その劇場の在り方に共感していただいて利用してくださっているすべての可児市民が顕彰されたのだと思っています。アーチストや文学者の顕彰と違って、劇場経営は私個人の仕事の結果ではなく、職員を含めた多くの市民がいてこその成果だと思っているからです。

文化庁からの受賞の連絡は、世界劇場会議国際フォーラム2017の1日目の終わった後のレセプションで乾杯の発声をした直後に携帯電話にありました。毎年この時期になると「今年は誰が、何で受賞するのだろうか」という程度の関心はありました。私も数年前に芸術選奨の審査員をしていて、奈良の「たんぽぽの家」の播磨靖夫氏、沖縄の「キジムナーフェスタ」の下山久氏を積極的に推挙していましたので、芸術選奨が「年度賞」であることを承知しておりましたし、「劇場経営」という時間をかけて地域との関係づくりをしていく仕事にこの賞は馴染まないと考えていましたので、その知らせに頭の中には「?」がいくつも並びました。咄嗟に口を突いて出た言葉が「私で良いのでしょうか」でした。あとになって考えると、地域に出始めた直後の1993年に長崎の自閉症スペクトラムの子供たちの「のこのこ劇団」と出会い、とりわけそこに参加していた当時小学校4年だったあゆみちゃんとのいささか衝撃的な出会いと交流から、アーツマネジメントとマーケティングに社会包摂的な要素を導入することによる劇場ホールと社会との親和的な関係づくりを考えはじめて四半世紀、途中、阪神淡路大震災の際の神戸シアターワークスでの活動、北海道劇場計画の知事交代による頓挫、県立宮城大学・大学院の教員時代の7年間を挟んで、可児市に招かれてから9年間、その知らせは飛び跳ねるほど嬉しくても不思議はなかったと思うのですが、私の中では意外にも漣波が少し立った程度でした。

2014年5月には軽い脳梗塞でその前後の記憶が飛んでしまい、その後1年半ほどは処方された薬の副作用で思うように動けず抗鬱剤まで処方されるありさまで、狂喜乱舞とまでは行かないまでも、もう少し喜んでも良かったのではないか、もう少し嬉しくても良いのにという忸怩たる思いは今もあります。ただ、職員をはじめとする多くの文化政策・劇場音楽堂関係者からの期待と、それに反する自身の内面の症状とのあいだで引き裂かれてしまって鬱状態になった時に私の考え方を大きく変化させたことがあって、そのような受け止め方になったのではないかと考えています。それは、劇場と大学を兼務していた1年目の終わり近く、2007年度の宮城大学・大学院の学部と院の卒業生が大挙して可児市を訪ねてくれて、めいめいが私に読ませたい絵本を、めいめいのメッセージとして10数冊持ってくるという粋なことをしてくれたのですが、そのうちのジョン・ジオノの『木を植えた男』を鬱状態になった時に再読して、それまでの私の考えが劇的に変化したことを指しています。私は劇場を「森」に譬えて書くことが良くあります。森は一滴一滴のしずくに地中の養分を溶け込ませて流域に豊かな緑と実りを約束し、注ぎ込んでは豊饒の海と豊かな収穫を生み出す、その森と川と海の織りなす豊かさの循環を劇場の在り方を譬えるのが分かり易いと考えているからです。1997年に上梓して私の劇場論の最初の意思表明となった『芸術文化行政と地域社会』も、序章は『《芸術支援》から《芸術による社会支援へ》』で、その第一節は北海道・厚岸の牡蠣漁師が山に登って木を植えるという水産海洋学の奈須敬二先生の著作から想を得た『カキの森の文化政策』でした。月一で発行されている各戸配布の可児市民向けのニューズレターである「ala TIMES」にそのあたりのことを書いていますので、それをそのまま引用します。

「そのように館長として嬉しい出来事もあるのですが、一昨年に病気してからの1年半は、正直言って、仕事の量に思うように体力がついていかない焦燥の中にいました。やり遂げておかなければ、と思う膨大な仕事と重い使命と、激しい体力の減衰のあいだでいささか鬱状態になりました。最近「お薬手帳」を掛り付け医に書いてもらいましたが、何と12種類の薬が処方されていました。少量の抗鬱剤も記してありました。これが命を繋いでいるのだな、としみじみ薬を眺めました。一人で晩酌をしながら食事をつくり、黙々と食べているときに『なんでオレは此処にいるんだろう』と思うことも間々ありました」、『木を植えた男』は、「プロヴァンス地方の荒れ野で来る日も来る日も苗木を植え続けた男の話で、二つの大戦のあいだも休むことなく男は木を植え続けるのですが、出征していた『私』が帰還してその荒れ野を訪ねると、そこは楢の豊かな森となり、乾いていた曠野には清流が流れていた、という話です。『そうだ、私はこの<木を植える男>のような仕事をしているのだ』と我に帰りました。何十年後か先に、劇場という場所を人々の羽根を休めに来る『豊かな森』にするため、私はいま一本一本と苗木を植えているのだ、生あるうちに自分の手で『豊かな森』をつくろうとするから気が滅入るのだ、とようやく気付いたのでした」。その森の周辺に出来たまちで『私』が見たのは人々のあふれんばかりの笑顔だった、という話です。

私は死の時を迎えるまで毎日毎日一本ずつ丁寧に苗木を植えることで将来に「森」をつくりだす仕事をしているのだ、と思ったとき、フッと気持ちが楽になったのを思い出します。無理をして頑張らなくても良いのだ、身体が思うように動かなくても動かないなりに前に進めば良いのだと、その時に今更ながら思ったのでした。私は将来を担う子どもたちや多くの人々から「未来」を付託されているのだ、と思っただけで曇天の気分が晴れやかになりました。自分一人の力で森をつくろうと力みかえって疾走していた最中に芸術選奨受賞の報を受けたら、おそらく傍が恥ずかしくなるほど大喜びしただろうなと思います。そのような自分の姿を思い浮かべただけで気恥ずかしくなります。報を受けた翌日、大型市民参加事業『MY TOWN 可児』の稽古場で追い込みのリハーサルをする沢山の子どもたちと多くの市民の様子を見た後、ホワイエで清掃のお母さんたちとすれ違って「おつかれさま」と挨拶を交わして事務所に戻りました。そして、あの子どもたちも市民も清掃の方々も、皆が静かに喜んでくれて、アーラにいることを誇らしく思ってくれるだろうな、と考えただけで少し幸せな気分になりました。「良かった」と、その時にはじめて思いました。

今回の受賞は「そのまま前を向いて進んでも良いよ」と背中を押されたのだ、と思っています。
そのように感じたことが過去にもありました。現在では信じられないかもしれませんが、90年代はじめに芸術文化の社会的役割・公共的役割を提唱して、95年の阪神淡路大震災のときの神戸シアターワークスを組成した頃、その考えを地元演劇人から「売名行為」、当時社会派と言われていた若手演劇人から「演劇はそんなことに使うものではない」と激しく面罵されました。日本では前例のない考え方であったから、本当に物凄い逆風にさらされて酷い扱いを受けました。朋友の西川信廣氏や妻の柴田英杞の私への共感という支えがあったものの、時として瞬く間に萎えてしまいそうになる気持ちを常に抱えていました。代表的な文化芸術助成機関である文化庁も地域創造も、まだその頃は芸術的成果とその創造プロセスにしか政策をフォーカスしていませんでした。たとえ不十分な法制化であったとしても、文化芸術振興基本法が議員立法で成立する6年も前のことです。現在検討されている改正・文化芸術振興法は第三次基本方針以降の基本方針と劇場法の精神を盛り込んだ評価できるものになりますが。それでも後漢書にある「疾風に勁草を知る」の言葉のように、深く深く根を張ればどのような烈風にも吹き飛ばされない強い草になるとの思いで社会包摂型劇場経営の考えを深化させることに専心しました。

そのような完全アウェイの逆風の中で出会ったのが英国北部・リーズ市にあるウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)で、WYPはまさしくその街の「森」の機能を果たしており、『芸術文化行政と地域社会』で構想して政策提案したそのままの劇場が其処にありました。当時から盛んにラジカルな社会的な発言をしていた芸術監督のジュード・ケリー(現ロンドン・サウスバンクセンター芸術監督)と辣腕でありながら人間的な温かさを持っている経営監督のマギー・サクソンがつくりあげて、「北部英国の国立劇場」とも「コミュニティ・ドライブ」とも称されている、その素晴らしい劇場に出会ったとき、「このままで良いのだ、自分の考えは何も間違っていない」と私は強く背中を押されました。「このような劇場が日本に10程度あったら、すべての国民にとって身も心も休ませることのできる《必要な社会機関》になる」と確信できた出会いでした。バルセロナでの国際文化経済学会のあとの98年6月のことでした。

今回、劇場経営の成果として顕彰はされましたが、この贈賞は到達点にではなく通過点に与えられたのだと思っています。この顕彰はあくまでも通過点としてのものであり、さらに研鑽しなさいというメッセージを頂いたのだと思っています。私も可児市文化創造センターalaをまだまだ進化させなければならないと思っています。これから「何をなすべきか」は創造現場、鑑賞現場、ワークショップ現場から「宿題」としてもらっています。やりたいこと、やらなければならないこと、改善したいことは山積しています。また、今回の授賞理由となった「社会包摂型劇場経営」のマネジメント、マーケティング、ヒューマンリソース・マネジメントの各分野の理論化はあとに来る若い人々のために、その劇場ホールの立地するまちの人々のために遺さなければと考えています。

足元の人材育成はアーラ職員と近隣のホール職員を対象とした隔週の「館長ゼミ」があり、全国のホール職員、自治体職員、地方議員、可児市民を対象とした人材育成は年3回、一泊二日の「あーとま塾」で「自分たちの仕事を客観的に考える機会」を広く提供できることになります。ここでは地域創造の助成が決まって、遠方からの参加者や若い人たちへの旅費交通費援助が実現しました。また、将来にわたっての文化政策のグランドデザイン構築としては「世界劇場会議国際フォーラム」があり、これらの質を担保するためにテーマ設定と議論のハードルを少しずつ高めながら上書き保存をしていけば良いと思っています。これらのプロジェクトは研究のための研究ではないのだから、現場の仕事に即した「解」を求めるようにしなければならないとも思っています。其処での議論を自分の現場に持ち帰って地域特性にマッチングするようにトランスレートしてもらえれば良い。そして、参加者たちによって形成されるネットワークが、イノベーションを絶えず起こしながら社会にインパクトをもたらすシリコンバレーのコミュニティのように、いつでも助言を受けられる、知のリソースを提供し合える、そして新しい社会のかたちを構築し続ける「劇場知と社会知のネットワーク」になることを目標としています。

「世界水準の舞台創造」は、2015年に業務提携契約を締結したWYPとの国際共同製作の作業が昨年度から始まっています。可児市とリーズ市で滞在型の稽古を6週間-7週間行い、リーズーロンドンー可児―東京―全国公演(両劇場とも大規模改修の時期との日程調整があるので決定ではない)の前提で、現在は劇作家の選定を進めています。昨年からリーズ、東京、可児と3回のテーマ設定の協議を開催して、WYPとalaのミッションに共通する「社会包摂に関わる内容」にする方向で協議されています。3月末に日英共同制作関連企画として開催した、候補作家のドラマリーディングとシンポジウムで私は、「貧しさの真の悲劇は、希望を持つことができないことだ※1」というアダム・スミスの『道徳感情論※2』の一節と、「他者を助けることに関心がある人たちは幸福度が高い傾向にある※3」という今年の世界劇場会議国際フォーラムでパネラーの1人であるWYPで認知症を含む高齢者プログラムを担当しているニッキー・テーラーの報告にあった英国・ニューエコノミクス財団の2008年の報告書の一節をプレゼンテーションしました。怒りがあまりに強すぎて描き方が図式的になって人間の尊厳の毀損への踏み込みがいまひとつで、パルムドール受賞ほどの作品かなと思いはしましたが、ケン・ローチ監督の『わたしはダニエル・ブレイク』のような立ち位置の舞台にしたいと思っています。世界に蔓延している格差と貧困と人間への尊厳に対する軽視に「希望」と「生きる意欲」を対置する舞台にできればと思っています。

※1 The real tragedy of the poor is the poverty of their aspirations.
※2 The Theory of Moral Sentiments
※3 Individuals who report a greater interest in helping others are more likely to rate themselves as happy.

「子どもの貧困」は、人口10万人の可児市、こんな田舎の町でも年々深刻さを深めています。私が可児に来た2007年には就学援助を受給している生徒児童は2世帯しかありませんでした。正確な人数は分かりませんが、4人か多くても5人程度ではなかったかと思います。それが昨年には200人を大きく超えました。児童扶養手当の受給児童も400人を超えました。「子ども食堂」も可児市内に昨年度までに3か所、今年度からあと2カ所が市民によって設けられました。「食の孤立」はこれで一息つけると期待するのですが、可児の未来にとって危惧しなければならないのは、彼らとその家族の精神的孤立・社会的孤立、そして生徒児童自身の「学からの孤立」です。日本財団の「子どもの貧困の社会的損失推計レポート」によれば、40歳という年齢を輪切りにして、その就業率を調べると中卒者・高校中退者は76.6%、 高校卒業者89.9%となって、中卒者・高校中退者の4人に1人が無業者(社会保障受給者)であるのに対して、高校を卒業するだけでもその割合が10人に1人になるという。

つまり、どんなに成績が下位にあっても高校さえ卒業できれば社会保障の受給者が激減するばかりか、健全な納税者と社会保障の負担者が大幅に増加するのです。社会を発展させる可能性を持った地域社会への参画者として社会に出ることができるのです。昨年9月末に日本財団主催で開催された『ソーシャル・イノベーション・フォーラム』の分科会に児童養護施設で成人したのちにNPOの仲介によって特別養子縁組によって「家族」の一員となり、大学を出て、恋愛をして家庭を持ち、生まれた子どもとともに新しい「家庭」を築いている2人のパネラーが登壇していました。彼らが盛んに強調していたのは「普通」でした。施設に入所そしていた時代から「自分たちは《普通》ということに憧れていた」と発言したのです。私は「家庭」を持てて人並みな幸せを手にしていることが彼らの憧れていた「普通」なのだと当然思っていたのですが、彼らの口から出た言葉に私は打ちのめされました。「税金と社会保障費をきちんと納めていられる」ことが彼らの憧れていた「普通」の生活だというのです。私の甘っちょろい情緒的な思いに冷や水が浴びされました。彼らは養護施設時代に、子どもの頃から税金や社会保障に依存している自分に負い目を感じていたそうです。だから「普通」である現在に幸福感を感じているというのです。

毎年40人前後の中途退学者で推移していた時にコミュニケーション・ワークショップを入学直後の4月から7月までに1クラスが3回受けられるようにして3年目に中途退学者が9人と激減する成果を実現した東濃高校の事例では、推定値ではあるのですが、この学年だけで、地域社会はおよそ約48億円の経済損出を免れ、将来にわたって12億2880万円の租税と8億5440万円の社会保障負担、総計で20億8320億円の自治体財政への寄与が生じることになります。日本劇団協議会が文化庁の戦略的芸術創造事業の補助委託で社会的インパクト投資の専門家と行った昨年度の調査研究では、県立東濃高校でのプロジェクトの社会的投資収益率(SROI値)は9.86と出ました。つまり、この年度の一年生へのワークショップに投資した予算が193万円でしたので19,027,394円の社会コスト削減効果が短期的なアウトカムとしてあったことになります。今回の調査では予算と期間が限定的であったため、中途退学者と問題行動の激減のみしかフォーカスできませんでしたが、就職後の職場状況、彼らの家庭環境の「変化」を数値化することは今後の調査課題にしなければと思っています。この報告書は劇団協のウェブサイトからダウンロードできます。(http://www.gekidankyo.or.jp/news/news_063.html)

ただ、学校現場からは必要単位が未修となって中途退学を余儀なくされる子どもがいて、折角ワークショップを通して「承認欲求」を充たして自己肯定感と自己有用感を持ち、小中学校では疎外感を感じていた生徒が、高校に入学してようやく「居場所」にたどりついたのに、基礎学力の不足で卒業を断念することになる傾向があるとの声があります。彼らの「激しい怒り」や「悔しい気持」を私たちはしっかりと受け止めなければと思っています。高校の授業料支援は、所得制限のあるもののほぼ定着していますが、年限制限があって留年すると経済的事情で卒業をあきらめざるを得ないのです。彼ら留年者に「特別奨学金」を拠出するのは私たちの仕事ではありません。それは自治体が政策判断で果たす役割です。

ならば、彼らに対して私たちができることは何なのだろうか、と考えました。ひとつは、芸術選奨の授賞理由にもなった「私のあしながおじさんプロジェクトFor Family」です。ダブルワーク、トリプルワークで親子の会話のなくなった家族の真ん中に演劇とか音楽という「一本の樹」を植えよう、その樹を見上げながら会話を交わす習わしを取り戻してもらおう、というのがこのプロジェクトです。実は昨年度途中で地元企業、団体、個人から寄託された予算が不足するほど多くのご家族からの申し込みがありまして、再度の資金調達をしなければならなくなりました。これは見込み違いで大変なことなのですが、このプロジェクトの成果が口コミで拡がっていることを意味しており、そのような環境下にいるご家族が社会的に孤立していない証左でもあり嬉しい誤算なのでした。「私のあしながおじさんプロジェクトFor Family」のチラシをはじめとする広報は一般にはなされておらず、対象となる「就学支援」と「児童扶養手当」を受給している児童生徒とそのご家族にしか渡らないものですから、口コミでの拡散しか考えられないのです。いまひとつは、可児市の母子寡婦福祉連合会と提携して昨年から始めた、そのような家族を精神的にも社会的にも孤立させないためのワークショップです。これは良い成果のフィードバックがあったので、今年度は複数回の実施を企画しています。解決しなければならない社会課題は「現場」から立ち上がってくるのです。

これらのプロジェクトは、かつては家族の中で養われた共感力、コミュニケーション力、アンジェラ・ダックワースの提唱するGRIT(歯を食いしばってやりきる力)が、格差の増大、貧困の深刻化等の社会環境の激変によって「家族間の機能不全」が生じて、社会化に必須な能力であるにもかかわらず減衰している現況に変化を与えようというミッションを持ったものなのですが、しかし、基礎学力不足で高校を中退せざるを得ない「学の孤立」には確定的な効果があるものではありません。ならば、と私たちは考えます。可児市文化創造センターalaという建物は「可児市民のためになる業務を遂行するようにと委ねられている」のですから、そのような環境下の生徒たちの現況を放置せずに「学習支援」をするための団体に諸室使用の無償提供をするのも充分に政策根拠のあることと私は考えています。

週2日2時間程度で、炊き立てのご飯のおむすびと味噌汁、東濃高校で行った仲間づくりのワークショップを隔週で開催、という構想は2年前から持っているのですが、おむすびと味噌汁を作ってくださる市民からの申し出はあり、ワークショップはコミュニティ・アーツワーカーの新井英夫さんからの積極的承諾も受けています。問題は、前述したソーシャル・イノベーション・フォーラムでの邂逅での衝撃から、子どもたちの「一生に寄り添える」支援していただける教員OBOGでなければならないという条件です。知育型の「教え込む」だけの支援員ではこの任務は担えないと思っています。可児の未来のために、彼らの「普通」のために劇場は何ができるのか、絶えず問い続けることが私たちの任務(ミッション)だと思っています。
 
高齢者向けの孤立を防止する『ココロとカラダの健康ひろば』と乳幼児と若いお母さんのための子育て支援を目的とする『親子de仲間づくりワークショップ』の「お試し無料体験」が4月19日にあり、その翌日は不登校児のための『スマイリングワークショップ』と、学校に入っていく『児童・生徒のためのコミュニケーション・ワークショップ』の今年度の開始日でした。これらのコミュニティ・エンゲージメント・プログラムを含む『アーラまち元気プロジェクト』は、昨年度の実施回数はまだまとめられていませんが、一昨年度は年467回を実施しました。肝心なのは、その実施回数の多寡ではありません。どのようにしてニーズに応える質を担保できるかです。その芸術選奨受賞理由となったプロジェクトが今年度もいよいよ走り出しています。

ただ、先日全国公文協が文化庁委託事業として調査した『劇場、音楽堂等の活動状況に関する調査報告書』が送られて来ましたが、P.135のからP.143の「社会的弱者への対応」、「地域貢献活動の実施状況」のくだりに、今後の文化政策を歪みかねない言語規定の混乱と誤認識があり、私は大変危惧しています。「社会的弱者への対応」はほぼ会館の介助研修とそのマニュアルの有無に限られており、「地域貢献活動の実施状況」では、「子育て・教育」、「福祉・介護」、「障害者支援」と「商店街連携・賑わいづくり」、「コミュニティ・地域づくり」、「観光・シティセールス・地域PR」、「産業連携・商品開発」、「国際交流・外国人の受け入れ」等が混在しており、すべての人々を孤立させない・排除しない・差別しないで健全なコミュニティに向かう《社会包摂》という概念と、交流人口の増加、賑わいづくり等とそれによる経済波及効果、地域経済活性化を目的とする《地域振興》がまったく別物であることを公文協自身が理解していないように見受けられる。混在しようがないのであり、ここをきちんと概念整理しておかなければ後顧に憂いを残すことになる。一昨年度の文化庁委託事業だった『社会貢献ハンドブック』も、もともとは『社会包摂ハンドブック』というタイトルだったし、英国での調査もその団体や劇場ホールへのサーベイであったのを「社会包摂」という言葉が一般化していないという執行部の判断で急遽変更した経緯があります。

2011年2月に閣議決定された「第三次基本方針」に「文化芸術の社会包摂機能」という文言と概念が既に登場していたのであり、その4年後の一昨年段階にあっても概念整理がなされず、「社会包摂⇒社会貢献」と焦点をずらしてしまうのは将来を見据えて全国の文化施設を主導しなければならない全国公文協として問題ではないかと思います。ましてや昨年度の調査に至っても、文化庁の重要政策のひとつになっている「社会包摂」の概念整理をなさずに『劇場、音楽堂等の活動状況に関する調査報告書』を編纂するということは、今後の文化政策の展開の制御要因になってしまう。3施設へのヒヤリングの結果が掲載されているが、これを読む限り現場に混乱が起きていることは否めません。

「社会包摂」に依拠したコーズ・リレイテッド・マーケティングは、劇場音楽堂等の公共的使命と社会的認知を促して「社会的必要」に対応するポジショニングを獲得するものであり、フィリップ・コトラーが2010年に『コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則』で提唱したソーシャル・ブランディングによる「価値主導」と「共創」と「人間中心」を核として「Making the world better」を使命とするマーケティング3.0の起点となる劇場経営の戦略的手法におけるひとつの戦術なのです。誤解をおそれずに言えば、大局的には「無駄なハコモノ」 という一般的評価を、さらには個人の趣味でしかないと思われている芸術文化への社会的認知をコペルニクス的に転換させるためのマーケティング戦略です。さらには、人口の2%弱と言われている愛好者・鑑賞者を飛躍的に増やして劇場音楽堂等の支持者・協働者・擁護者を生み出す「創客」をグランドデザインとする劇場経営の要諦なのです。コトラーの言う「「Making the world better」(マーケティングで世界をより良く)を実現して、文化芸術による「創造的福祉社会」という新しい社会構築を視野に入れる社会機関としての劇場音楽堂等を確立させる文化政策の一環であると、私は位置づけています。

最近コトラーが言い始めている「自己実現」をキーワードとした「マーケティング4.0」は「3.0」との境界が曖昧で、マーケティングでマネタリズムを煽ってきたコトラーの「罪滅ぼし」の感は否めませが、ソーシャル・ブランディングと、それを梃子にしたマーケティングに関わる職員が「自己実現」を果たしているという意味では可児市文化創造センターalaのヒューマン・リソース・マネジメントは既にその領域に入っています。また、アーラの支持者とボランティア、プロジェクトサポーターをはじめとする多くの市民の皆さんが、「他者を助けることに関心がある人たちは幸福度が高い傾向にある」(Individuals who report a greater interest in helping others are more likely to rate themselves as happy. )と英国・ニューエコノミクス財団2008年報告書)に指摘されているような行動経済学の「セルフ・イメージ仮説」(自分がフェアな人間であるという自己イメージを守るために利他的な行動をとる)による「自己実現」の、アーラがその触媒の役割も果たしつつあると思っています。

今回の受賞により「背中を押された」と私は個人的に感じており、可児市文化創造センターalaのプロジェクトはさらに進化させなければならないと思っていますが、あわせて評価を受けた「社会包摂型劇場経営」についての経営論、マーケティング論、社会学的考察等の理論化を、あとに来る後進のためにどうしても書き残さなければいけないと思いました。また、昨年下北沢の自宅の建て直しに入った頃から、私どもの劇場や芸術団体の経営思想の継承者を育成する環境づくりのために、現在建築中の住居兼賃貸住宅とわずかな財産によって将来的に年150万円前後の給付型のアーツマネジメン奨学基金をつくろうと考え始めました。その民法上と税法上の検討協議を銀行と信託銀行で始めています。とは言っても、私の死後のことになりますので少し先になってしまいます。将来的には基金に併合する方向で話し合っていますが、足元の貧困家庭で塾に通いたいと思っている子どもは目の前に沢山います。基礎学力不足で高校の中途退学を余儀なくされることを含めて「学の孤立」を防ぐために、きわめて限定的ではありますが、年3人の3年間の塾の授業料を賃貸住宅の収入から直接拠出しようと夫婦で話し合っています。喫緊の問題ですから、借入の返済に目途がたったらすぐにでも始めなければならないと思っています。

「恩おくり」という言葉があります。私は、この20年ほどは公立大学と公立文化施設からの収入で糊口を立ててきました。これらは、その恩を社会に還すという意味で、私なりの「恩返し」であり、「恩おくり」だと思っています。ともかくも、今回の受賞は、これから長く続くだろう劇場経営の日々を惰性に堕すことなく、退場までの時間を有効に生かそうと考える契機となりました。劇場経営者の「終活」として年齢的に絶好のタイミングの受賞でした。

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