エッセイ

劇場音楽堂等と芸術団体の協働で「社会的処方箋」を。

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

世界劇場会議国際フォーラム2017in可児が好評のうちに終わりました。基調講演には、「経済学は人々を幸福にできるか」を自らに問い続けながら、残念ながら2年前の9月に鬼籍に入られた宇沢弘文先生の薫陶を受けた直弟子の東大名誉教授で前地方財政調査会会長の神野直彦先生をお招きすることができました。神野先生は「子どもたちは少なくとも二つの木陰の下で育っていく必要がある」と著作にも講演でも仰っていて「ひとつは緑の木々が織りなす木陰であり、いまひとつは人びとのきずなが作り出す温もりのある木陰です」とあります。前者は限りある自然資源を浪費しつくそうとする社会への警告でもあるし、後者は新自由主義経済体制が利己的な利得のみを追求するあまり利他的な行動がつくりだす「ぬくもり」という健全なコミュニティの所産を毀損していることに対する危機感でもあるのだろうと私は理解しています。この言葉を、私は劇場や芸術文化の社会的役割を暗示していると受け止めています。

神野先生の基調講演は、僭越ながら打ち合わせののち「タイトルはそちらで」ということになって、『経済成長優先の「豊かさ」の時代から、生活重視の「幸福」の時代へ』とさせていただきました。これは先生の数々の著作に貫かれているお考えだからです。宇沢先生のみならず、ジョセフ・スティグリッツ、アマルティア・セン等のノーベル経済学賞の世界的な経済学者から2000年前後から「幸福」という言葉が盛んに言われるようになりました。私が地域に出るために独学で経済学をはじめとする劇場経営、地域経営に関する勉強をした頃にはまったくなかった傾向です。そもそも「幸福」はきわめて個人の主観的に属する感情であり、それまでの経済学では研究対象にはならないとされていたのです。経済学者のみならず、クリントン政権の労働長官を務めてオバマ前大統領のアドバイザーであったロバート・ライシュも『格差と民主主義』、『暴走する資本主義』、『最後の資本主義』等の著作の中で本来あるべき人々の「幸福」についての主張を「いまや私たちは、本来万人にとって機能するはずだった経済活動や民主主義というものを失いつつあり」と記して、共和党の保守主義者、新自由主義経済の信奉者からほとんど袋叩きのようになっています。

私は神野先生に、私たちが生きている「いま」をお話しいただき、そのお考えを英国と日本のゲストスピーカー及びフロアの参加者とその現状認識と時代認識を共有することで、その後の議論の展開のベースにしたいと考えていました。基調講演で述べられたのは、私たちは健全な資本主義が行き詰るプロセスで倫理意識を喪失して、本来は人間を支える「経済」が人間を隷属させるようになって格差が拡大する結果となっており、「現在」のマネタリズムと規制緩和によって政府の関与を出来るだけ排除しようとする自由放任的な資本主義は、新しい社会システムを創出できるまでの過程である、という認識でした。そして、1891年に時のレオ13世が出した「資本主義の弊害と社会主義の幻想」というレールム・ノヴァルム(回勅)と1991年に宇沢先生が関わったヨハネ・パウロ2世の回勅「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を対比なされて、自然環境と人的環境の破壊をもたらした現代資本主義への疑問を提示なされました。

確かに経済学の父と言われるアダム・スミスは『国富論』において需給の均衡による価値の決定は市場で「見えざる神の手」によって決定されると書いていますが、一方でそれ以前の著作である『道徳感情論』では「共感」をキーワードとして、倫理・道徳というものが「見えざる神の手」となって社会と経済を健全化に向かわせる、と記しており、その『道徳感情論』は『国富論』を著したのちも亡くなる直前まで何回となく改訂版を重ねています。むしろ『道徳感情論』こそが『国富論』に先立つ主著であるとする研究者がいるくらいです。このアダム・スミスの二大著作は補完し合うものと私は考えていますが、『道徳感情論』を再評価しようという動きは、新自由主義経済思想が社会に様々な弊害をもたらし始めた2000年前後から出始めます。それまで『道徳感情論』はアダム・スミスの業績ではほとんど脇に追いやられて等閑視されてきたと言えます。それは著名な経済学者の著作に従来は研究対象ではなかった「幸福」という言葉が頻出する時期と重なります。

次いで、慶應大学大学院特任講師の伊藤健先生による社会的投資収益率についての基調報告がなされました。伊藤先生とは日本劇団協議会が文化庁から委託された「芸術団体における社会包摂活動の調査研究プロジェクト」の専門委員を、SIB(社会的インパクト債)の研究者であり実践者でもある幸地直樹氏、研究者で関連するプロジェクトの起業家でもある友田景氏、文化芸術の評価を専門とするフリーのリサーチャーである熊谷薫氏を専門委員に、日本劇団協議会加盟劇団からの調査委員及びその公募に応じていただいた日本学術振興会の特別研究員PD川畑泰子氏、早稲田大学文学学術院助手(社会学コース)の高橋かおり氏など若い研究者で組成したPTでご一緒している。ソーシャルビジネスの社会的インパクト評価がリーマンショック後の2010年前後から研究され始めて、金融危機によって公的セクターへの資金をはじめとするリソースが減少するのではないかという危機感からG8の議題ともなり、この通常国会では年間600億円と言われる休眠預金を社会セクターに活用する法律が成立し、2010年には内閣府に「社会的インパクト評価についての研究会」が設置されるなどの動きが出ていることなど、その時代背景と、劇場音楽堂等及び芸術団体が「文化芸術の社会包摂機能」により展開するプログラムに対する評価も、定性的評価のみの客観性の薄いものからSROI(社会的投資収益率)によって「変化」を定量的評価する時代に移っているとの最新の情報を話していただいた。あわせて、現在日本劇団協議会で行われているプロジェクトに関わって、当初は文化芸術を調査対象とすることへの疑問があったが、調査研究プロセスでそれは杞憂に終わり、社会的インパクト投資によって大きな「変化」をもたらす有効な手段と認識できた、という報告もありました。

ちなみに日本劇団協議会のPTでサンプリングしたプロジェクトは以下の5つの事例です。
(1)岐阜県立東濃高校における劇団文学座の取り組み。
(2)宮城県仙台市の仙台富沢病院における認知症高齢者への演劇情動療法の成果。
(3)千葉県市原市の労協と劇団銅鑼のニートの就労支援の取り組み。
(4)金沢におけるTEN SEEDSによる障害児と健常児による演劇製作の取り組み。
(5)江戸あやつり人形結城座と教育NPOの若者自立塾における協働。
なかには過去に完了した取り組みもあり、また限られた期間での調査であったこともあり、ただちに数値化することが困難だったが、私の評価としては次につながる橋堡頭は築けたと思っています。このSROIについての伊藤先生の報告を直ちには信じられないとの質問もあり、少なくとも驚きをもって受け止められたようです。従来からの「常識」から逃れられない人間には、これらの社会包摂事業が定数的に評価できるとはにわかに信じられないのではないでしょうか。

この神野先生、伊藤先生の講演を全体の基調として、今回のテーマと設定した『劇場は社会に何ができるか、社会は劇場に何を求めているか?― 日本版社会的処方箋は可能か?』のシンポジウムに入りました。今回の国際会議は、英国で90年代半ばから英国芸術評議会と英国保健医療機構との協働で行われて、その政策エビデンスを収集蓄積している「社会的処方箋」というムーブメントが日本で成立するのかという、あるいは英国では保健医療分野に限定されているのを、日本では社会現況を俯瞰すれば、もっと間口の広い、身体的障がいはもちろんのこと、認知症ケアや被災者・犯罪被害者のPTSDを含めた精神的障がい、子供の貧困などの社会的障がいの課題解決のための包摂型事業を一括した処方箋活動を将来的にデザインすべきではないかという企画意図がありました。

2日目の活動報告「魂のサンクチュアリへ― 文化芸術の社会包摂機能のありかを探る」の報告者の一人、茨城県の結城病院のリハビリテーション科長川口淳一氏からの終了後のメールで「医療・介護の立場から地域包括ケアシステムに文化行政もかかわってほしいと思いました」との意見が寄せられました。最終受益者である国民市民の立場から言えば、文化庁のみならず、文部科学省、厚生労働省、経済産業省、それに総務省、観光庁、外務省も相互に連携しながら柔軟に対応する包括的なサービスを社会に提供すべきなのは言を俟たない。その方が二重三重に経費をかけてしまうリスクを免れるだろうし、社会的インパクト投資の観点からも費用対効果を計るSROI値が高く出ることは間違いのないところです。縦割りになって非効率な行政分野を文化政策が横串としてつながる仕組みが必要なのではないか。いささかぼんやりとしてはいますが、それが「日本版社会的処方箋」のデザインの輪郭なのではないでしょうか。

シンポジウムのセッション(1)『文化芸術の社会包摂機能は新しい価値を生み出す「処方箋」になりうるか』は、まず英国芸術評議会のヘレン・フェザーストーンさんからのナショナル・ヘルスサービスとの協働による「社会的処方箋」についての活動理念と実際の事例報告、ニッキー・テイラーさんのウエストヨークシャー・プレイハウスの高齢者プログラムと認知症患者プログラムの事例の細部にわたる報告、東北大学の藤井昌彦先生の認知症治療のための「演劇情動療法」の科学的な症状分析と報告と保健医学とアーツの相性に関する考え、芸術団体及び劇場ホールのコンサルティングを行う英国のIndigo社の業務執行役員のセーラ・ジーさんの『人々の健康と福祉、幸福に効果をもたらすアートプロジェクトは観客の開発につながるか?公共劇場は観客創出のための社会貢献マーケティングを行うことは可能か?』というコーズリレイテッド・マーケティングの実効性に関する考えを関連事例の紹介を含めた報告がありました。セーラ・ジーさんは、サイモン・ラトルが世界の指揮者の頂点であるベルリン・フィルの音楽監督になる前まで務めていたバーミング市響のコミュニケーション部長としてマーケティングとファンドレイズの責任者であり、バーミンガム市響にファンドレイジングとチケット収入で年間300万ボンド(4億6000万円)の増収をもたらした実績を持っています。次いで、彩の国さいたま芸術劇場理事長の竹内文則さんの「一万人のゴールドシアター」の報告と来年度からの社会包摂プログラムの大幅な導入へのシフトチェンジの動機と構想と続いて、全体がまるで「一つの物語」のようなシンポジウムとなりました。

2日目の午前中は、前述したように「魂のサンクチュアリへ― 文化芸術の社会包摂機能のありかを探る」として全国と英国での事例が報告されました。川口淳一さんの学習障がい児の「のこのこ劇団」の活動の実際と劇場の付属する富良野老健(介護老人保健施設)での活動の報告がありました。この二つとも私が関わったこともあり、90年代初めの社会包摂プロジェクトの懐かしい話となりました。そのあとアーラ職員の尾崎隼の英国のグラスゴーシチズンズシアターと病院で活動するバイタルアーツの詳細報告がありました。最後は釜ヶ崎で活動するココルームの上田假奈代さんが「釜のおっちゃんたち」との素晴らしいリレーションシップと、その活動のあらましの楽しい報告をいただきました。午後は前日の議論の深化のセッション?『劇場と芸術と社会の、「幸せな関係づくり」へ向かう』を行いました。

全体として、社会包摂プロジェクトと鑑賞者開発との増収増益につながるマーケティングの循環が見えてくる今回の世界劇場会議国際フォーラムになりました。セーラさんのプレゼンテーションは、その意味でもこの9年間アーラで展開してきたコーズリレイテッド・マーケティングの正当性と最適性を裏付けるものであり、あわせてパネラーの皆さんのプレゼント議論及び事例報告が、日本版「社会的処方箋」へのニーズは社会の現況をかんがみると非常に高いことを物語っていると私は考えています。その社会的ニーズは今後高まりはすれ、低くなることは決してないと断言できます。私たち芸術文化に関わる者は、そろそろその政策提案の準備に取り掛からなければならないと思っています。そのための長い旅路は覚悟しなければなりませんが、吉本隆明の詩ではありませんが、私たちはいつでも「遠くまで行くんだ」という覚悟で旅の支度をしているのだと自覚すべきではないでしょうか。

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