第七十二回 「アーラ」を文化・芸術、はたまた娯楽の殿堂と思っている市民の存在/可児市文化創造センター

連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第七十二回 「アーラ」を文化・芸術、はたまた娯楽の殿堂と思っている市民の存在

可児市文化創造センターala 事務局長 山口和己

私の趣味の仲間であり人生の先輩でもある、市内在住のある人物が私に“アーラ”の運営に関してご意見をくださいました。 文化センターの役割は市民全てにとって楽しめる催しや音楽を提供する場所であり、娯楽の場所であるべきだ。だから、変に背伸びをして一般向けしないようなものをやるのではなく、近隣市などでやっている一般向けする歌手や芸人を連れてきてくれた方が、市民皆が喜ぶ。今のアーラは、一部の愛好家のためだけの施設になってしまっているのではないか。というのです。どこかで聞いたことのあるフレーズのような気もします。

これは私個人に喧嘩を売ってきたとか、アーラが憎くて物申す、といったような深刻な指摘ではなく、自分の率直な感想を伝えたいという素朴な気持ちからの言葉であったようで、何気ない会話の中から発せられたものでした。 私は2年前、人事異動の内示を受けて衛館長に挨拶に来たときの光景を思い浮かべました。 館長に対して、自分は至って無粋で、文化や芸術などという分野に疎く、役に立てるかどうか自信が無いという趣旨を伝えました。すると、即座に館長から、アーラが社会やまちづくりにどう貢献できるのか、公的な資金をいただいて運営する劇場の役割等、「社会包摂」の概念を諭され、これまでの市役所勤務の中で得た知識や経験を活かしつつ自分でも役に立てるかもしれないと新任地の今後に自信を持つことができたことを思い出しました。

そして、あの時の館長のように、今アーラが行っていることを説明し、その人物が抱いている誤解の一部でも解消しようとしました。その人は、地元での自治会との深い繋がりや福祉関係のボランティアも経験されており、私の話は完璧に理解してもらえると思っていたのですが、話しながらも何か「糠に釘」のごとく手応えがありません。 アーラを利用したことの有無を確認したところ、選挙の候補者演説を聴きに来た程度でほとんどアーラを利用したことが無い、ときっぱり。それで「糠に釘」の感覚の訳も、実際に見聞きしての意見ではなく、何となくの直感的想像のみでアーラをイメージしておられたことを知りました。

その後、ちょっと考えさせられました。アーラをほとんど利用することは無いけれど、漠然とアーラに対して、「文化センター」というものに対する既成概念だけのイメージを持つ市民がどれほどいるか、ということを。 このアーラが開館して15年となるものの、先日、初めてアーラに来たというお客様にお会いしたこともあって、前記の心配は一層大きくなりました。 こうした人たちが持っている既成概念とは一体どんなものなのか。この人物に言わせると、先ずは、アーラをよく利用する人は、文化や芸術の分野に趣味を持っていて、習い事が好きな人たちだということ、そしてセンター側は、一般に対して有名な歌謡曲や演歌の歌手を呼んでのイベントをやる。すなわち、可児市に文化センターがなかった時代に、たまに名古屋や近隣他市の文化センターに出かけて観た有名人の公演が行われているような場所、といったイメージなのでしょう。

それでは、こうした既成概念はどこからきたのでしょうか。民営の御園座や名鉄ホール等のイメージもあるのかもしれませんが、全国的に数多くある公立劇場、ホールにおいても、確かに有名俳優やタレント、演奏家が出演する事業に偏ってしまう傾向があります。有名人を呼ぶということは、そのブランド力に期待して一人でも多くの観客を動員したいという気持ちから仕方の無いことかもしれません。これは、単に採算をあわせようということだけではなく、事業の存続、ひいては劇場・ホールの存在意義を維持しようという意図の現われなのでしょう。 そして、おらが町に文化センターができたら、これまで都会に出て行かなければ観ることができなかった有名人の舞台やコンサートを間近で見ることができると喜んだ人たちにこの既成概念は既に植え付けられていたのかも知れません。

アーラでは、「文化芸術の中核拠点づくり」「人と情報の交流拠点づくり」「文化を活かしたまちづくり」を基本方針とし、音楽、演劇、伝統芸能、展覧会、映画等、感動を体感していただける機会を提供するとともに、可児市のまちづくりに資するべく、「アーラまち元気プロジェクト」という、人々が出会い、思い出を共有し、互いに理解するコミュニティプログラムを年間467回(昨年度実績)展開しています。まさに、社会包摂を意識した劇場経営に努めています。 また、館長が戒めておられますが、都会で受け入れられているものを時代に乗り遅れるなと言わんばかりに上から目線でそのまま持ち込むのではなく、市民の半歩先を行く事業企画を意識し、決して敷居の高くない演目に心掛けています。 こうした、特に地方において今後求められると思われる劇場経営を進めている地元地域に、先の既成概念を持った市民が少なからず存在することは残念ではありますが、この現実を認めた上で地道な努力を継続していかなければなりません。

文化芸術に対して、市民各自が異なった概念、異なった価値観を持っていることを大前提とするならば、今後、このアーラの運営に大事なことは、やはり重点配分のバランスだと私は思います。 鑑賞体験の分野では、自主企画・制作公演、共催公演、地域拠点契約公演等の方法により、市民より半歩先を行くものから、同歩調のものを適度な配分で提供し、映画事業、展覧会の内容もこのバランスの中で選択、提供していかなければならないでしょう。 また、アーラの大きな柱でもある「まち元気プロジェクト」なるコミュニティ促進の分野では、自主企画・制作を軸に、アウトリーチ、講座、公演を多方面に向けて働きかけ、人材育成を進め、芸術団体等との連携・協力も積極的に行っていく必要があります。 そして、疎かにしてはいけないのが貸館事業です。平均稼働率84.1%(大小ホール67.1%)[平成27年度実績]という高い水準を維持する観点からも、舞台技術、制作面で担当職員が丁寧に対応し、利用者及び観客の満足度の一層の高揚に努力しなければならないと思います。 そして事業の更なる展開を図るため、広報宣伝は必須事項と考えます。

このアーラが開館して以来、衛館長を始め、職員各位が積み上げて来られた実績の上に立って、非常に口はばったいことを書き連ねたような後ろめたさはありますが、このアーラが可児市にとってなくてはならない施設で、市民を始め、利用者にとって本当に必要な施設であることを、常に立証し続ける立場に自分もあると再認識するために敢えて書かせていただきました。 なお、差し当たって、私は今回の再考察の発端となったこの人物に対して、このアーラのファンとまでは言わずとも、良き理解者になってもらうべく努力をしていきたいと思います。




 

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