第六十一回 アーラに存在する癒しのスポット/可児市文化創造センター

連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第六十一回 アーラに存在する癒しのスポット

可児市文化創造センターala 事務局長 山口和己

「ala」には、イタリア語で「翼」という意味があることは周知のことかもしれませんが、この名をつけられた可児市文化創造センターという建物全体がL字型で、屋根の庇が幅広くせり出しており、まさに2枚の大きな翼を広げたかのような形状になっています。
そして、この2枚の大きな翼に抱かれるかのように、これまで何度も紹介をしてきた『水と緑の広場』があり、多くの市民の憩いの場となっています。ここは、建物の南東に位置する日当たりのよい芝生公園になっており、噴水エリアの水上ステージに向かってなだらかに下りの傾斜を成す、いわば野外ステージ様な広場となっています。

今回ご紹介したい、表題にある「癒しのスポット」とは、この『水と緑の広場』から見て西に位置する建物のさらに西側で、幅5~10mの帯状に建物に沿って造られている日本式庭園です。
この庭園は、当初から里山をイメージしてデザインされ、広葉樹を中心に様々な中・低木がきれいに下刈りされた状態で林立し、適度な西日を取り込んでいます。
アーラの軒下から西の方面に目を向ければ、この木立の間からすぐ目前を敷地境を流れる『愛知用水』越しに可児市の西部に広がる街並みを一望に見下ろせる絶景ポイントとなっています。

里山と言えば、私は小学生の頃、確か「ゴウ掻き」と称して、自分の家の山や親戚の山で落ち葉を掻き集め、リヤカーに詰め込んで家に持ち帰り、風呂やその頃あった釜戸の焚き付けにするという家事手伝いをした記憶があります。
間もなく、風呂も灯油やガスのボイラーに替わり、釜戸も次第に使用しなくなり、こうしたお手伝い自体がなくなったことから、この経験も遠い昔のほんの僅かな間の記憶となってしまいました。

1960年代以降、エネルギー革命の影響で、里山が放棄され、荒廃が進んでしまい、人間と野生動物の生活エリアを区分していた境が消滅し、クマやイノシシやシカなどによる獣害が人里で頻繁に起こるようにもなってしまいました。
里山は、いわば日本人の自然との共存心、自然の恵みへの感謝、自然災害への畏怖、そして八百万の神につながった信仰心の中で維持、存続してきたと言えると思いますが、便利な生活はこれらを置き去りにさせてしまったかもしれません。

今、日本は、便利さを追求しすぎて失ってしまったもの、そしてもう一方で、獣害、自然災害、放射能の脅威などの新たに背負い込んでしまったものを考える中で、里山の再生や未来への継承を真剣に考え直し始めています。

可児市においても、いくつかのグループが里山の再生、維持管理に努力を惜しまず取り組んでおられます。とりわけ、可児市の久々利、我田地区においては、「里山クラブ可児」が私有林を借りて里山維持活動を実践しておられます。
この『我田の森』は、平成25年度に岐阜県の環境保全モデル林事業の第2号に選定され、平成26年度に一層整備が進み、備品等も充実し、持続可能な里山経営が進められています。
本市では、この『我田の森』とその近くにある『花フェスタ記念公園』や『道の駅 可児ッテ』などと合わせて人が集まるゾーンにできないか、交流人口を呼び込むことができないだろうか、との検討を進めています。

岐阜県では、5年をかけて毎年1か所モデル林を創出し、県内に波及させていきたい考えで、まさに「岐阜は木の国、山の国」をアピールしていこうと考えています。
また、折しも今年の秋には、岐阜県揖斐川町の谷汲緑地公園を会場に【全国育樹祭】が、皇太子同妃両殿下をお迎えして開催されることになっており、『我田の森』もそのサテライト会場として関連イベントを開催すべく、準備が進められているところです。

本市は、北の市境を流れる木曽川や市の中心部を流れる可児川に向かって流れ込むいくつかの川沿いに洞が形成され、その間に山々がせり出しているような地形を成しており、まさに里山を残そうという意識さえあれば、かなりの部分自然との共存は可能な町だと思えます。
藻谷浩介氏が著書『里山資本主義』に掲げておられるような、地域経済、日本経済を支えていくほどの規模は望めませんが、都会の生活に疲れた人たちがプチ田舎生活を体験して、癒しを享受することは、十分にできるのではないでしょうか。

そして、13年前、本市にとって待望の「文化創造センター」が斬新かつ多機能性を持ったデザインで誕生した折も、人が集う場所にふさわしい自然エリアとして、明るいイメージの「水と緑の広場」と癒しを与えてくれる落ち着いた里山風庭園が取り入れられました。「水と緑の広場」は、このアーラを訪れた人はどなたでも知っておられますが、この里山風庭園は、スタッフとこのアーラに足繁く通っているほんの一部の利用者の方にしか知られていないと思います。

この里山風庭園を一番のお気に入りにしている人の中で、この庭園に自身の遺灰の一部を撒いてほしいと望んでいる人がいます。
我がアーラの衛紀生館長は、アーラタイムス2013年8月号掲載の館長エッセイ「遺言を書くことにしました。」において、遺言書に「遺灰の一部をアーラの西側の庭で樹木葬に」と書きたいこと、そしてこの場所が一番のお気に入りであることを表明しています。
もし、このことが遠い未来にでも現実のことになった場合、誰もやらなければ、私がその役をお引き受けしたいと思います。

私としては、今後もこのアーラを維持管理していく中で、積極的にはPRしないまでも、こうした、人にとってホッとできる癒しの空間も大事にしていきたいと思います。
ひいては、全市的に市民の手で維持されている里山なども市民の皆さんに知っていただき、まずは市内の皆さんにこの可児の良さを再発見してもらいたいものです。それから、市外の人たちに興味を持っていただければいいのかな、とも思っています。










 

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