連載 「公共劇場」へ舵を切る:第七十六回 考えるべきことを、考える時に、十分に考える、誤読と曲解のススメ― 劇場職員はアーツマネジメントとマーケティングをいかに勉強するか。/可児市文化創造センター

連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第七十六回 考えるべきことを、考える時に、十分に考える、誤読と曲解のススメ― 劇場職員はアーツマネジメントとマーケティングをいかに勉強するか。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

講演や劇場経営のコンサルティングに出掛けると、「アーツマネジメントとアーツマーケティングをどのように学習したらよいのか、何から読んだら良いのか」という質問をされることが度々ある。私は経済学も行動経済学も経営学もマーケティングも公共政策学も認知心理学も、劇場経営に必要となる知識のすべてを体系的に修めているわけではないので、誰かを指導できるような人間ではないのだが、一応は県立宮城大学と大学院研究科で4つのゼミを持っていたので、その時のゼミ運営に沿ったかたちでの学習の道筋はアドバイスできる。まずは新聞を隅から隅まで、とくに政治・経済・社会・国際・教育に関する記事は精読することを奨める。劇場の外部環境の変化をいち早く察知しなければ「次の一手」を編み出せないからだ。

私たちの「商い」の対象は国民・市民なのは自明であり、彼らはその中で日々の暮らしを営んでいるわけで、時代の変化が彼らにもたらすだろうことを読み取れないと、劇場の「いま」は即座に、しかも急速に陳腐化してしまう。「変化はコントロールできない。できることは、その先頭にたつことだけである」、「未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ」というドラッカーの『創造する経営者』の言葉は、外部環境の変化をいち早く読み切って改革し続け「チェンジリーダー」たる行動を不断に起こさなければならない、対人サービス業としての私たちの仕事のファースト・ミッションを語って余すところがない。なぜなら、私たちの仕事は、顧客である国民市民に新しい価値をプレゼンテーションして、彼らの心に「変化」をもたらすことがミッションなのだから。したがって、「あれをやりたい、これをやりたい」と企画を自分本位に一人称で提案する劇場職員を私は信用しない。劇場ホールでの仕事をそのようなものと思い込んでいる職員は非常に多い。そのような職員が事務処理能力に欠ける例は枚挙に暇がない。対人サービス業の劇場職員は、三人称で、企画のみならず、劇場のすべての業務を考えられないと適性がないと私は判断する。それでは、ただの芸術愛好者でしかない。それなら観客席に座っていれば良いのである。

さて、私は東京に拠点を置いていた頃は、スポーツ紙、赤旗、北海道劇場計画に関わっていた頃は北海道新聞を含めて7紙を購読していて、必要な記事はスクラップしてストックしていたが、一紙だけでも良いので精読して必要になると思われる「変化のきざし」に関する記事は切り抜いておく程度にはアンテナは張り巡らせておいてほしい。さらに読んでおかなければならない論文や書籍を紹介してほしいと言われたら、「必読の論文・書籍は100人いたら100通りです」と答えます。何も答えたことにはならないので不親切なようだが、これが現場を持っている人間の学習の鉄則なのだ。学者・研究者になろうとするなら体系的に勉強をするのは必須だが、現場の人間は仕事が壁に突き当たった時や解決できない課題を抱えてしまった時に、それに必要な論文や書籍を渉猟して読み、そこから解決策を探り、方策を創造する方法が唯一の効率的な勉強なのである。これだと劇場の経営手法が絶対に身に着く。「何故だ」と感じたときが絶好のチャンスなのである。「食べたい時に食べる」のが一番美味しいのと同じで、自分が必要としている時に、必要な論文・著作に触れるのが頭に入りやすい、というより身体に入って身に着くのである。「はじめに」から「おわりに」までを順序だてて読むことなど絶対に必要ない。自分の抱えていることにヒットしそうな章や項や、場合によっては前書きだけで解決策への創造思考の大きなヒントをもらえることもある。大切なことは、解決策は論文や書籍の中にあるのではなく、読者であるその人間の想像力と創造力にあるということである。つまり、課題解決策は文献の中にあるのではなく、自分で編み出せということである。

それに加えて自分が「常識の囚人」になっていないかどうかを自覚する必要がある。「常識」とは過去の経験値の集積であり、遵守しなければならない経験値もあるが、「常識」が、自由に想像力と創造力をはばたかせて「未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ」のドラッカーの名言を実現する妨げとなってしまうことのないようにしなければならない。私は県立宮城大学時代に、3年時でゼミ選択をして私の研究室に入ってくるゼミ生に、まずはジョン・スポールストラの『エスキモーに氷を売る』を精読させた。これはスポーツマーケティングの書籍で、戦績、観客動員数の双方とも、NBA最弱と言われていたニュージャージー・ネッツをV字回復させた経営手法が、本人の筆によって一人称で書かれている。いわば「常識破り」の球団経営の話である。これだけ聞いてもドキドキするのではないだろうか。サクセスストーリーだから興味が尽きずに読み進めることが必至である。そんな理由から最初に研究室で課す必読書になる。あわせて、自分が「常識の囚人」になってはいないかを確認するリトマス試験紙にもなる。まとっている「常識」を脱ぎ捨てることがどれだけ大きな先行者利得を生むかを理解出来る契機にもなると私は考えたのだ。

1年分のチケットをまとめ買いする複数の「パッケージチケット制」、当日は午前0時からチケットが半額になる、当日券が高いという常識を疑った結果の「当日ハーフプライス・チケット制」、芸術の持つ機能を健全な社会形成に活用する社会包摂型コミュニティプログラム「アーラまち元気プロジェクト」、禁止事項の貼り紙を一切破棄すること等々、アーラの経営システムは、まず身に沁みついている「常識」を疑うことから始まっている。それは自分自身を疑うことに他ならない。でなければ、変革や改革は絶対に起こらない。イノベーションは入り口で躓いてしまう。過去の経験値の集積である「常識」に囚われるということは、まさに前例主義によってことを進めているのであり、リスクをとった変化が、経済的利得、社会的利得、強いブランディングを実現するという経営の根幹をはじめから放棄していることになるのだ。数年前の全国公文協の「アートマネジメント研修会」で10数人がパネルとなったシンポジウムで、私が最後に一言といわれて「行政からの退職派遣の館長がいるかぎり劇場音楽堂等(劇場法が施行される前だったと記憶しているので劇場ホールという言葉を使ったと思うが)は活性化しないし、ハコモノ批判を撥ね返せない」と発言したら、「なーんだ、そんなことか」というような笑いが満席のフロアから起こったが、あの時の聴衆は天に唾したのだといまでも思っている。リスクをとらずに前例主義の「常識」に囚われているかぎり、健全な劇場経営は存在しない。将来にわたって現れないのである。

最後に「勉強の仕方」を問われて答えるのは、何を読んでいても、自分の劇場職員という立場と抱えている課題という視点をブレることなく遵守することと答える。論文や書籍の文字を目で追っているあいだにも劇場経営と自己の課題を並列的、同時的に行間に置いておかなければならない。いわばPCでウインドウを複数開けておいて、いつでも往還できる状態で資料に当たるのが大切である。読み進めるうちに新しいウインドウを開ける必要が出てくることもある。その往還が新しい経営手法の構築のプロセスなのである。これは現場を持っている人間でも研究者でも同じである。研究者を目指すのならタブーなのだろうが、現場を持っている人間が課題解決のために論文や書籍に当たるのなら、誤読や曲解は大いにやるべきと私は考えている。経営書、公共政策、マーケティング、心理学、脳科学、哲学書等々、どのような文献資料でも、自分が現在抱えている課題に引きつけて大いに誤読・曲解すべきである。そうでなければ新しい価値を生もうとする精神が創造的になることはない。何を、どのように読もうが、経営の成果がすべてである。

また、高いか、厚いか、いろいろだろうが、「壁」にぶつかっている人間は、それに加えて、大きな夢と志と、自分が生を受けた使命を持たなければならない。いまの自分の仕事が劇場音楽堂等と芸術文化をすべての国民市民が必要とする公共財にするための小さな一歩であると信じられるかである。これで確実に仕事のストレスは軽減される。乗り越えるのが困難と思われる「壁」もストレスのもとにはならない。むしろ、夢や志を実現させるための「楽しみ」になる。そして、新しい劇場経営の「方程式」を編み出し、発見した時の喜びは筆舌に尽くしがたいものとなる。「常識」に凝り固まった業界に一石を投じると、その波紋は批判や陰口を連鎖的に生み、完全アウェーになることは必至だが、そのハレーションが大きいほど成し遂げることになる仕事は大きいのである。



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