連載 「公共劇場」へ舵を切る:第五十九回 たかが挨拶と言うなかれ。 /可児市文化創造センター

連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第五十九回 たかが挨拶と言うなかれ。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

全国の劇場を歩いていると、事務所に入っただけでその施設が地域社会にとってどのような機能を果たしているのかが何となく察せられる。まず、職員の仕事に対する姿勢に違いがあるのだ。生きていくためにだけ仕事をするモチベーション1.0から、アメとムチで働かされるモチベーション2.0、やりがいを持って仕事に向かっているモチベーション3.0という、ダニエル・ピンクの分類によれば、事務所がよどんだ空気に包まれて、私の挨拶に対してもほとんど反応すらないのはモチベーション1.0が支配的な劇場である。そのような劇場が、仮に高い水準の舞台芸術を製作して何らかの顕彰を受けたとしても、私はその劇場が素晴らしいとは決して思わない。私たち劇場人は「人間」に関わる仕事をしているのである。「人間」に関心を持ってこその、劇場人であると私は思う。世間には賞をとることを使命にしている劇場もあるやに聞くが、それでいて職員をひとりの自立した人間として扱わないのなら、どのような賞であっても色褪せてしまうと私は思う。事務所に入って挨拶の返ってこない劇場は、おおよそ職員の雇用環境が酷いものであり、ダニエル・ピンクの言う「やる気(Drive)」へのモチベーションに欠ける職場環境にある。

たかが挨拶ではないか、と言われるかも知れないが、「おはようございます」、「こんにちは」、「お疲れさま」の挨拶は単なる儀礼的なものではない。震災などの被災者にとっては、「取り残され感」、「置き去り感」に苛まれているときのこれらの挨拶ほど励みになるものはない。これらの挨拶には「あなたに関心があります」というメッセージが込められているからだ。コミュニケーションが「関係づくり」の第一歩であり、「関係づくり」こそが支えあいのコミュニティの必須条件だとすれば、まず挨拶を交わすことはいわばそのための「助走」のようなものだ。阪神淡路大震災の折に神戸シアターワークスを組織して活動したとき、夏休みが過ぎてボランティアが潮が引くようにいなくなった仮設住宅を訪れて「おはようございます」という挨拶を各戸にして声掛けをしたのだが、その時の被災者の方々のちょっと安堵したような笑顔は忘れられない。それだけで皆さんを元気づけられるのではないか、と思ったほどである。

アーラの壁には「We are about people, not art」という標語が貼られている。英国芸術評議会が全国調査を実施したときに「優れた劇場の定義」として挙げた二つのセンテンスの一つである。私がアーラの館長に就任した時に拡大コピーをして貼ったものだ。私たちは「人間に関わる仕事をしている」のである。芸術創造も組織経営もマーケティング活動も、劇場に関する仕事はおおよそ「人間に関わる仕事」である。そのためにも、まず私たちが健全な人間でなければならないと思う。

さらに言えば、健全な雇用環境に身を置いているべきである。全国公文協においても、劇場音楽堂等連絡協議会においても、最近は雇用問題については忘れられがちである。「人材育成」は人材への投資であり、期限付き雇用などの非正規雇用となると投資行為が成立しなくなるので、「人材投資」を声高に言う人間も少なくなっている。指定管理者制度以降の非正規雇用者比率の拡大を、あたかも所与の条件のように受け入れているのだろうかとさえ思ってしまう。そのような雇用環境で体温のある劇場サービスが出来るのだろうか、私には不思議である。血の通ったサービスを提供することが出来るのだろうか。最近の世の中では、単なるコストカッターを「プロの経営者」ともてはやす傾向があるが、「プロの経営者」とは、モチベーション3.0で職場環境を充たし、劇場サービスのイノベーションを進んで提案する意欲を引き出し、そのサービスの享受者に充足をもたらすことのできる経営者である。製造業でもないかぎり、単なるコストカッターは「プロの経営者」ではない。

指定管理者制度導入以降の非正規率の急増が劇場音楽堂等のポテンシャルを著しく削いでいることは火を見るより明らかであり、それを所与の条件として受け入れるということはいわば「自殺行為」に等しい。非人間的な職場から、人間の心を動かすサービスなど創れるはずもないのである。事業を削れば人件費を賄えるのなら事業は削るべきである。自治体からの仕様書に人件費のキャブ制が設けられているのなら、しっかり理論武装して、経年で職員に積み上げられる市民やアーチストとの関係資産こそが優良なサービスを作り出すし、投入される税金の費用対効果を高度化すると担当の管理職や首長を説得すべきである。職員は取り替え可能な駒ではない。経年で利息ともいうべき関係資産を産んで大きくなり、大切な経営資産ともなる存在であることは、サービス産業の経営学の「イロハのイ」である。現在のままでは、劇場内部の格差は拡大するばかりである。このまま放置しておいて良いのだろうか。それとも劇場サービスに国民市民がそれほど期待をしていないということなのだろうか。










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