連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第五十三回 マーケティング3.0の時代へ ― 成熟社会の劇場経営。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

Amazon.comでベストセラー第1位になったトマ・ピキティの『21世紀の資本』がこの12月に日本でもみすず書房から発売された。数量経済史という最新の統計手法を駆使して、過去200年、3世紀に渡っての経済統計を分析した労作で、資本主義は格差の拡大を内包した経済システムで、従来は一時的な社会現象と考えられていた格差拡大による不平等な社会が、実は資本主義経済それ自体が持っているシステム不全によるものだということを欧米の税務資料を分析して証し立てたものだ。たとえば、労働賃金は、本来は労使のあいだの交渉で決まるものであるが、昨年の春闘も来年の春闘も、政府がそこに介入して「政労使」で政府の要請として賃上げが決まる様相を呈している。これは資本主義という経済システムに綻びが出ていることを如実に物語っていると言えよう。ピキティは、資本主義経済によって露呈する社会矛盾を克服するためには、「資産税」など再配分政策をドラスティックに採用しなければならない、と政策提案している。フランスの少壮の経済学者であるピキティの業績紹介は、「週刊東洋経済」や「エコノミスト」などの経済雑誌などで特集されていたが、ようやく800頁にもなる原典に触れることができる。正月休みの楽しみがひとつ出来た。

一方、最近良く見かける「成熟社会」は、バブル経済が崩壊した90年代半ば以降からたびたび使われるようになった言葉である。これは、1971年のノーベル物理学賞を受賞したデニス・ガボールが、翌年の72年に書き下ろした『成熟社会 ― 新しい文明の選択』(邦題)によって提起された概念で、未来学への関心も高かった彼は、ひたすら量的な拡大を追求する経済成長は永続的には続かないとして、「量的満足」による物の豊かさの時代に代わって「生活の質」を優先する平和で自由な社会が登場する、とやがて未来するだろう「成熟社会」を想定している。

マーケティングの世界でも、80年代半ばから一般的に行われていたマス・マーケティングの限界が言われ始め、ドン・ペパーズとマーサ・ロジャースによって「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」の概念が提唱されて、物質的な充足による「モノの売れない時代」を顧客個々と向かい合うことで克服しようとする関係づくりのマーケティング手法へと急速に傾斜していくことになる。大量生産大量消費による製品価値志向の「作れば売れる」時代は、70年代には終焉し、80年代から90年代のマーケティングは、いわば次の一手を模索する時代であった。そのマーケティングの考え方の変遷が物語っているのは、消費者の欲求の変化でもある。マーケティングの手法に変化があったということは、消費者の性向が変化したということであり、営利・非営利を問わず、経営における外部環境が大きく変わったということを意味している。つまり、「成熟社会」の到来がこの時期であったと私は考えている。

私はそのような時代の変化が、トマ・ピキティの「資本主義の陥穽」に重なり合っているように思えてならない。近年の都市と地方、大企業と中小企業、富裕層と貧困層の格差の拡大と著しい不平等の進行、さらにトリクルダウンという「幻想」、そして子供の貧困、二十代の自殺などの社会問題を目の当たりにするにつけ、何かが限界にきているという「イヤ~な感じ」と「変化への対応の時間的なずれ」が日本社会にとって致命的なエラーになるのではないかという漠とした不安を私は持っている。「成熟社会」はちょっと舵取りを間違えると途端に「衰弱社会」に陥ってしまうし、働き方や生き方を間違えると人間として疎外感にさいなまれることになる。むろん、営利・非営利を問わず経営手法の選択を踏み外せば、市場からの退場という憂き目にあってしまうだろう。

たとえば、働き方であるが、以前にダニエル・ピンクの「モチベーション3.0」を館長エッセイで取り上げたことがある。(http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_121.html) ダニエル・ピンクによると、「生存」のための《モチベーション1.0》、「アメとムチ」で働かされる《モチベーション2.0》に対して、新しい時代は「やる気」や「やりがい」や「生きがい」によって自律的、創造的に働く《モチベーション3.0》を駆動させなければ、変化に富んだ社会で、その社会を変化させる主導的な仕事は出来ないということである。左脳を使ったルーティンな仕事の仕方から、右脳を使った創造的なミッションを遂行する《モチベーション3.0》の時代に入っているというのが彼の主張である。そうでなければ「変化の時代」を生き抜けないし、企業・団体も生き残れないと彼は言っている。私はこの指摘を、精神的な豊かさや生活の質を重視する「成熟社会」での人間の働き方・生き方の最適解であると思っている。

同じ様に、フィリップ・コトラーが提唱する「マーケティング3.0」もまた、物質的な飽和状態の中で消費者の欲求が大きく変化して、商品やサービスに込められた「社会的価値」という物語を購入するように消費性向が変化してきていることが背景にある。つくれば売れた「マーケティング1.0」で通用した「大量生産大量消費」の製品志向の時代は70年代に終わり、ついで付加価値をつけることで「顧客満足」を高度化することに専心する顧客志向の80年代から90年代の「マーケティング2.0」へとシフトしたが、顧客満足が期待度分の達成度でしかなく、消費者の欲求の多様化には充分に対応しきれなくなる。また、「何が欲しい」と考えても即答しにくい物質的充足が果たされた時代にあっては、「モノ」ではなく無形性である「コト」の購入傾向が強くなってくる。「共感」や「共創」や「共生」というキーワードが消費行動の促進要素としてフォーカスされ、マーケティング戦略を仕組むうえで必須なものとして浮上してきたのが2000年代に入ってからである。つまり、「成熟社会」の消費性向は、製品やサービスの差別化が困難な時代を迎えて、製品やサービスに込められた「物語」を購入するという消費行動を生みだしていくことになる。同じ品質の製品なら、購買行動それ自体が社会参加と地続きとなっている製品やサービスを購入選択するという「倫理的な消費行動」が大きな位置を占めるようになってきたのである。すなわち、「顧客満足」を追求する価格競争の時代から、社会は加速度的に成熟し、マーケティングは「価値競争」の時代へと変化してきているのである。

劇場ホールの経営も、その「変化」とは無縁ではない。長い間、「ハコモノ」として無駄な予算執行の象徴と批判に晒されてきた自治体立の劇場ホールは、それ自体を「物語消費」のただなかに位置づけなければならない好機をみすみす逃してしまうことになる。いまこそ「ハコモノ」からの脱却のチャンスなのである。いま「価値競争」に打って出なければ、市民すべてにとっての「人間の家」になる途は永遠に閉ざされてしまうのである。

従来から劇場ホールは「芸術的価値」と「経済的価値」の両立を求められてきた。しかし、2011年に閣議決定された第三次基本方針以降、「劇場法」、「大臣指針」と、文化芸術並びに劇場ホールは「社会的価値」であることも求められるようになっている。劇場ホールは、優れた芸術的価値のある舞台を鑑賞する場としてだけではなく、地域社会を健全化する装置としての役割を求められる外部環境にあると言って良いだろう。このミッションを貫けば、「ハコモノ」からの脱却は見えてくる。施設建設に費やされた財政的な負担ばかりではなく、ランニングコストという後年度負担も、事業遂行に費やされる予算も、すべてを地域社会を健全化し、コミュニティを再生させるための「戦略的な投資」と位置づけることが出来る。第三次基本方針にも、「文化芸術への公的支援に関する考え方を転換し、社会的必要に基づく戦略的な投資と捉え直す」とある。

そして「成熟社会」にあっては、そのような機能を持つ劇場ホールのような社会機関の存在が包摂的な社会を形成し、地域の成長を約束するのである。それは物質的・経済的に豊かな社会であるよりかは、個々人が一人の人間として尊重される、精神的な豊かさとゆとりのある「成熟社会」での生き方と、共生社会の実現を目指すための装置として、劇場ホールが地域社会に位置づけられる社会デザインである。全国に2200あるとされる自治体立の劇場ホールの経営者に告げたい。いまこそが「機会」である。「好機」である。劇場ホールは「興行場」であるという「頑迷な常識」から脱することが、「変化する時代」にあって、劇場ホールの経営者や意思決定権者に求められているのである。





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