連載 「公共劇場」へ舵を切る:第四十七回 笑顔の絶えない英国・地域劇場の職員。 /可児市文化創造センター

連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第四十七回 笑顔の絶えない英国・地域劇場の職員。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

6月1日から9日間の行程で英国の地域劇場の、主に社会包摂事業であるコミュニティ・プログラムを視察して回ってきた。スコットランドのグラスゴー市にあるグラスゴー・シチズンズ劇場、イングランドのリバプール市のエブリマン劇場、リーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウス、シェフィールド市のクルーシブル劇場が主な視察劇場で、大変に刺激的なツアーとなった。犯罪や麻薬に手を染めてしまった青少年に音楽、演劇、ダンス、美術で社会への再チャレンジの機会をつくるプログラム、犯罪多発地帯への少年ギャングを対象としたアウトリーチプログラム、刑務所へのアウトリーチプログラム、孤立しがちな高齢者のネットワークづくりに資するための週一度のプログラム、さらにウエストヨークシャー・プレイハウスでは、認知症の高齢者向けのプログラム開発を進めているという。

「劇場がなぜそんなことまでするの?」という疑問が日本人にはあると思うが、それが英国のパブリックな地域劇場の重要なミッションのひとつなのである。つまり、地域劇場とは単に優れた舞台を鑑賞する場所ではなく、まちを健全化する、コミュニティを再生する拠点施設と位置づけられているのである。芸術的評価と等価で社会にいかに貢献するかが問われるのだ。その両立によって、存立することが地域住民から許されるのである。

質量とも英国随一と言われるコミュニティ・プログラムを実施しているウエストヨークシャー・プレイハウスでは、リーズに2泊して、数多くのセミナーとプログラム視察をした。それらの数多くのプログラムを所管しているのは、芸術開発部と呼ばれる部署で、単にプログラムをマネジメントするのみではなく、資金調達までしている。それは傍目に見ても大変な激務であることが分かる。とくに芸術開発部の部長で、旧知のサム・パーキンス女史などは、当時の芸術監督の無理解に臆せずに、犯罪や麻薬に手を染めたティーンエージャーや、25歳までの引き籠りやニートを対象に文化芸術をツールとして大学受験資格まで取得させるファースト・フロアーを立ち上げたという辣腕ぶりで、立ち上げのための非常に大きな金額のファンドレイズまで彼女が担ったのである。

そう聞くと、「やり手」のスクエアな女性をイメージするかもしれないが、彼女の周辺からは笑顔が絶えない。彼女だけではない。今回会った芸術開発部の面々からは、本当に笑顔が絶えないのである。芸術開発部だけではない。以前からの旧知のケイト・サンダーソン(マーケティング&コミュニケーション部)、ゲイル・マッキンタイア(スクールツアリングカンパニー演出家)なども、並大抵ではない激務をこなしておりながら、彼女らからは向き合う人間の心を和らげるような笑顔が絶えない。しかも、同じ業種で比較すると、劇場で仕事をする人間の給料の方が15%から20%程度低いという。つまり、それ以外の「報酬」が彼等には「支払われている」と考えるべきなのだろう。たとえば「観客の拍手や笑顔」、「プログラムの参加者からの感謝の言葉や屈託のない笑顔」などが彼等のモチベーションを高くしていると考えられる。

激務に携わりながらの彼女らの笑顔は、自分の携わっている仕事に並々ならぬ誇りを持っている証拠だろう、と私は思っている。私が組織のマネジメントを語る際によく言う「必要とされている実感」と「役に立っているという実感」を自分のミッションに感じながら仕事をしているからなのだろう、と私は理解している。英国の地域劇場で仕事に従事するということは、地域社会の健全化に役に立つ仕事と同義なのである。ウエストエンドの興行街で仕事をすることとはまったく次元が違っている。地域劇場で仕事をするということは、舞台芸術公演という「一夜の慰み事」を提供するというだけのことではない。誰一人も社会的孤立のないような地域社会の健全化に直接手を貸すという壮大な使命にしたがった仕事に従事するということなのである。英国の地域劇場で働く人間が「誇りと希望」をもって仕事をしているはずである。笑顔が絶えないはずである。

翻って、日本の地域劇場はどうだろう。2011年2月に閣議決定された「第三次基本方針」で文化芸術の社会包摂機能が謳われ、それを事業として行っている劇場音楽堂等も社会化することが当然求められるようになっている。その考え方は、その後2012年6月に施行された「劇場音楽堂等の活性化に関する法律」(いわゆる「劇場法」)と2013年3月の「大臣指針」に引き継がれている。しかしながら、文化庁の補助事業である「劇場音楽堂等活性化事業」の事業別補助のなかに「普及啓発」という項目が入っているのに、それへのアプライが非常に少ない。「劇場音楽堂等活性化事業」全体でも130館のアプライにとどまっている。採択数はわずかに106館である。

何処のまちにでも学校はあり、高齢者福祉施設はあり、障害者をケアする団体はあり、保健医療機関はある。地域社会において放置すれば社会的に孤立してしまう住民は必ずいる。それは地域社会が健全に営まれるために克服しなければならない課題であるはずだ。であるのに、全国2200館あるとされる公立文化施設のうち130館しか「手を上げていない」のである。この補助事業の「普及啓発事業」にアプライすれば、地域の社会的課題に対応するワークショップやアウトリーチを実施できるのである。むろん、事業に掛かる費用の50%を「裏負担」する自主財源がない施設もあるだろう。事業費が年間200万円程度で、年に一回の鑑賞事業を実施するだけで精一杯な施設が1000館前後はあるだろうことは想像に難くない。

それらの施設への対応として、私は、年間500万円以下の事業予算の劇場ホールには、文化庁からの委託事業として、社会包摂に関わる事業費用は全額交付が見込める制度を提案はしている。そして、社会包摂型の劇場音楽堂等からの助言者派遣の費用も含まれるという提案をしている。だが、それにしても、130館は少なすぎる。トップの責任である。もっと言えば、行政からの退職者を館長として受け容れる制度が慣例となり、一般化している悪弊がそうさせていると断言しても良い。彼等にとって、「何も新しいことをしない」方が良いからだ。リスクはとらない方が、無事勤めあげられるのである。

そういう館の職員の目は概ね死んでいる。笑顔すらない。事務所には活気がない。概ね静寂な時間が流れている。黙々と、そして粛々と一般事務をこなしているだけである。この四半世紀、全国の公立ホールを歩いた私の実感である。例外的に「やる気」のある職員はいるが、そういう職員は大抵「邪魔者扱い」になる。組織の統制を乱す者と見なされる。そうして大きな予算で建設された公立の劇場ホールは「ハコモノ化」して行ったのである。いまも、その「病理」は進行しているのである。

「やりがい」の開発は人材育成の根本にある課題である。地域の社会的課題解決こそが、地域を拠点とする劇場音楽堂等の経営にとって大きく、太い柱である。それは地域の劇場音楽堂等にとって格好のオン・ザ・ジョブトレーニング(OJT)の場ともなる。英国の地域劇場の職員たちの笑顔を見ながら、私は、「無駄なハコモノ」と化している日本のホールのことを考えていた。日本はいま多くの社会的課題を抱える国になりつつある。だからこそ、社会包摂の理念に裏打ちされたプログラムを国の隅々にまで波及させなければならないのである。その意味では、長年私が言い続けているように劇場音楽堂等は、日本と国民の劣化をくいとどめるための「ラストリゾート」(最後の拠り所)なのである。全国に2200館もあるのだ。これから10年であと100館は増えると言われているのだ。ならば、「造ってしまった」と悔いるより、すべてを社会の健全化に資する社会包摂施設にするために努力すべきだと私は思う。「造っておいて良かった」という逆転の発想に転換すべきだと思う。そうなれば、そこで働く職員にも「やりがい」によって生まれる笑顔が取り戻せるに違いない。英国の地域劇場の経営を視察して、こころからそう思うのである。

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