連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第四十五回 「人間」をど真ん中に据えた劇場経営。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

We are about people,not art.
(私たちは崇高な芸術ではなく、「人間」についての仕事をしている。)
We offer experiences,not shows.
(私たちは興行ではなく、「経験」を提供している。)

桜井前局長が市役所に戻るにあたってこの欄に書いた「番外編」にもあったように、少し黄ばんだA2版サイズほどのコート紙が事務所の、誰もが見える壁に貼ってあり、上記の二つの短いセンテンスが書かれている。

私が足掛け7年前の年初にアーラの事務所にはじめて来たとき、職員に指示してプリントさせて貼ってもらったものだ。当時事務所にいた職員たちには何の意味か分からなかっただろうが、私が目指す地域劇場のあり方のすべてがこの短いセンテンスに言い尽くされている。英国芸術評議会の「優れた劇場の定義」なのだが、当時のアーラには無縁な言葉であったと思う。私は「芸術」は特別なもの、聖域にあるものとはまったく思っていない。コメや水や空気のように、「人間」に文化芸術は必要なものだが、侵さざるもの神聖なもの、崇高な存在とは微塵も思っていない。

私は一人でも多くの人々に演劇や音楽に触れてほしい、経験価値を手にしてほしいとは思ってはいるが、手段を選ばずに「集客」や「動員」に走ろうとは思っていない。それはマーケティング(売れる環境づくり)が欠如しているから「集客」や「動員」に走るのだ。自分たちの至らなさを「押し売り(Push sell )」で補おうとする誤った勘違いがそこにはある。マーケティングをきちんとして、お客さまの「期待値」を醸成して「売れる環境」をつくることは、公立劇場の進化形としての公共劇場の「倫理」とも言えるものだ。興行師でない、という矜持を持つことは公共劇場の「倫理」である。

それでも公演をするということは興行をしていることではないか、という反論はあるだろう。公演はしているが興行はしていないのである。私たちは「利潤」を上げるために高い料金設定はしていない。高価な料金設定で、どのような手段を使っても満席にすることは私たちのミッションではない。私たちのミッションは、「利潤」よりも「投資」である。地域社会やそこに住んでいる市民に「投資」することである。「経験価値」を市民に感じていただいて、「新しい価値」を獲得していただくことである。「生きる意欲」を持っていただくことである。

8000円の入場料で500人のお客様なら、4000円で1000人のお客様に経験価値を体験していただく方を認めるのが公立劇場の健全な考え方である。「赤字・黒字」という概念は公立劇場にはない。すべての市民から強制的に徴収した税金で設置し、運営しているのだから、「投資」と考えるのが当然で、「赤字・黒字」という金銭価値で事業の良し悪しを測るのは「倫理」に反している。「赤字・黒字」で考えたら、地域社会に貢献するアウトリーチは劇場経営から完膚なきまでに排除されてしまう。アウトリーチは健全な地域社会を形成するためのまったくの「投資」であるからだ。ここに税金を使われてこその「文化国家」であり、「文化都市」である。現在でも、文化庁の補助事業である劇場音楽堂活性化事業で「普及啓発」部門に補助金は出ているが、私は教育機関や福祉施設や保健医療機関へのアウトリーチは、10分の10、すなわち全額補助で国が支援しても良いくらいだと思っている。「文化立国」はそういう施策の先にその輪郭が描かれるのだと思っている。

私は「芸術のための芸術」ではなく、「人間のための芸術」でありたいと思っている。芸術を進化させ、新しい芸術の様式を生み出すのもパブリックなミッションであることは認めるが、公立の文化施設は、人間をど真ん中に据えて経営されるべきではないかと考えている。少なくとも、大都市圏以外の中小都市の公立劇場はそうありたいと思っている。アーラは、そういう劇場を就任時に目指したし、現在も目指しているし、そうなりつつあることがいま評価を受けているのだ、と考えている。

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